台湾の心霊スポットランキング
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絞り込み件数:6件
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海外では病院や旅館などの廃墟がよく検索されています。
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海外の廃病院
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海外の廃ホテル・廃旅館
海外にある心霊スポット一覧です。ランキング順のときは順位も表示します。
全6件
1971年(辛亥年)2月15日に起工したことから辛亥隧道と命名された台北市のトンネル(竣工は翌年の1972年)。
トンネルの北西側(大安区側)に台北市立第二殯儀館があり、また山の上にはお寺の墓地もあるため心霊的な噂が多い場所だ。ちなみに殯儀館とは日本語で言う所の斎場、火葬場の意味で、立地条件は神奈川県の鎌倉~逗子間の小坪トンネルに似ている。
近くに火葬場があるというだけではなく、このトンネルでは過去に事故が多発していたという。理由としては、文山区側のトンネルの出口が左右に湾曲しているため、直線のトンネル内でスピードを出し過ぎた車やバイクがカーブを曲がり切れずに事故る。
あるいは気象的な問題を指摘する声もある。この場所は大安区側と文山区側で気温の差が大きい日が年に度々あり、そのためトンネル内に霧が立ちこめ、この霧にトンネル内を照らす黄色いライトが当たり、ドライバーに一種幻覚のような症状をもたらすという説。いろいろな説があるが、はっきりとしたことは分からない。
このトンネルで聞かれる噂は、大きく分けて2つある。1つは白い服を着た若い女の幽霊が出るというもの。この女性の霊はトンネルの脇で、彼女を乗せてくれる車やバイクを探しているらしい。もう1つは老婆の霊が出るという話で、この老婆は昔トンネル内でひき逃げされたのだという。
このような噂があるため、辛亥隧道を通る際は赤い布をサイドミラーに結び付けてから通る人もいるのだとか。なぜ赤い布かと言うと、伝統的に台湾では赤はおめでたい色で、幸運をもたらすラッキーカラーだが、同時に魔除けの力を持つと信じられている。サイドミラーなどに赤い布を巻き付けるのは交通安全のお守りのようなもので、無事に家に帰れるようにという思いが込められているらしい。
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No. 340, Section 3, Xinhai Rd, Da’an District, Taipei City, 台湾 106
【台湾】辛亥隧道 詳細へ
【台湾】辛亥隧道のコメント
事故物件芸人の松原タニシも行ってるらしい。
ユーザーさん
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民雄鬼屋(Mín xióng guǐ wū)は台湾の嘉義市の北、民雄郷にある廃墟で、台湾四大心霊廃墟の一つと呼ばれるほど有名。
日本語で鬼というと昔話に出て来る赤鬼、青鬼のイメージが強いが、中国語の「鬼」とは亡くなった人や幽霊を指し、「鬼屋」とはお化け屋敷、幽霊屋敷のことである。少し古臭い表現だが、日本語でも人が亡くなることを「鬼籍に入る」と言い、この表現が中国語の鬼の意味。
もともと富豪であった劉容如氏によって1929年に建てられた、三階建てバロック様式の立派なお屋敷。このため劉氏古樓、劉家古樓とも呼ばれる。
屋敷を建てたものの、地理的に不便なこともあり、劉氏一家は数年後にこの屋敷から引っ越してしまったと言われる。しかし噂によれば、引っ越しの本当の理由は屋敷に出る幽霊のせいだという。事の発端は、この屋敷で働いていた1人の若く美しいメイドだった。
このメイドについては2つの話があり、1つはメイドが男に乱暴され屋敷の井戸に投身自殺し、その後井戸からメイドの幽霊が出るようになったという話。もう1つは、屋敷の主人がメイドを妾にしとうとしたが、当然正妻である劉氏の妻が納得するはずもなく、メイドは夫人から虐待され、それを苦に井戸に投身自殺してしまったという話。
いずれにしても、屋敷のメイドが井戸に投身自殺をして、その後家族が井戸から出て来るメイドの幽霊に悩まされ、引っ越しを余儀なくされてしまったということらしい。
この屋敷にはもう一つ曰くがある。屋敷の壁の一部に弾痕がいくつかあるのだが、これは戦時中に旧日本軍がこの屋敷を接取していた時期があり、その時に兵士による銃乱射事件が起きたためだと言う。何でも、警備の兵士が髪の長い白っぽい服を着た少女が空中に浮かんでいるのを見て、パニックを起こして同士討ちをしてしまい、死傷者が出たと言う話だ。このため屋敷には日本兵の幽霊も出るという。
ちなみにここは観光案内にも載っている有名スポットなので、普通に観光で来る人も多い。隣には鬼屋珈琲というカフェもあり、飲み物や軽食が提供されている。
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621 台湾 Chiayi County, Minxiong Township, 嘉82鄉道
【台湾】民雄鬼屋(劉家古樓) 詳細へ
【台湾】民雄鬼屋(劉家古樓)のコメント
(A) 宜保愛子が浄霊した、白い服のアイリーンと名乗る娘の霊。
(B) 下ヨシ子が供養した、白いワンピースで青い目の娘の霊。
(A)と(B)は同一人物なのか別人なのか、どっちなんだコラ
ユーザーさん
台湾鉄道の基隆(キーロン)駅からも近い交通量の多い交差点に位置しており、台湾で最も地価が高い心霊スポットとも言われる。1931年に実業家の林開郡氏によって建築され、何度かリフォームしようと試みるも、その度に工事中に心霊現象が起き、結局現在に至るまで廃墟なのだとか。
ここが心霊スポットと言われる所以(ゆえん)はこんな話だ。事の発端は1950年代までさかのぼる。その当時はまだ台湾とアメリカの国交があり、台湾にアメリカ軍が駐留していた。そしてこの建物には「美淇酒吧」(Měi-Qí jiǔbāメイチー・ジォバー)という名の、主にアメリカ軍人が集まるバーが入っていたという。
このバーで働いていたウェイトレスの1人に娜娜(ナナ)という名の女性がいて、客の米兵と恋に落ちた。彼女はやがてその米兵との子を身ごもったので、米兵と一緒にアメリカに渡りたがっていたようだ。しかし米兵から見れば彼女は所詮遊び相手に過ぎず、妊娠が発覚すると彼女を拒絶するようになる。
絶望した娜娜は恋人の米兵と無理心中を図ったのだろうか?ある土曜の夜、彼女はガソリン缶をもって恋人のいるこのバーに来た。そしてなんとガソリンを店内に撒いて放火したのだ。辺りは火の海と化し、娜娜本人と恋人の米兵は焼死。気の毒なことに、その時店内にいた十数人もの客と従業員も放火の巻き添えになって死亡したという。
この事件以降、建物の窓に顔の半分が焼けただれた髪の長い女性が立っていて、こちらに向かって手招きをしてきたなどの噂が相次いだ。地元民の間では、この窓に立つ女性こそ自殺した娜娜だと信じられている。その他にもここでは、夜中に館内に緑色の謎の炎が現れるのが目撃されている。
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No. 46, Aiyi Rd, Ren’ai District, Keelung City, 台湾 200
【台湾】基隆鬼屋 詳細へ
台中市の市街から少し南西に下った烏日區にある4階建ての廃墟。この建物では2階に女性の霊が出るという噂が有名で、台湾十大鬼屋の1つに数えられている。
この廃墟の曰くはこんな話だ。元々このビルはとある富豪の邸宅として1975年に建築されたのだという。その富豪の男性は当時バーの踊り子と付き合っていて、この家が完成したら結婚して一緒に住もうと約束していたという。
しかしいざ邸宅が完成すると、男性は踊り子を捨て、別の女性と付き合うようになった。男性に裏切られた踊り子は自暴自棄になり、ある雨の日に赤いドレスを着て完成したばかりの邸宅に忍び込み、2階の一室で首を吊って自殺した。
実は男性と踊り子は、邸宅の建設途中(おそらく日本でいう棟(むね)上げの段階)に一緒に建物内部を見て回ったそうだ。そして男性は2階の1室を指し、そこが自分たちの寝室になると言ったのだ。新婚の夫婦が愛をはぐくむであろう寝室。その寝室で踊り子は赤いドレス(婚礼の衣装)を着て自殺したのだ。
噂によると、この廃墟では今も夜に誰もいないはずの2階の寝室に灯りがともり、女性の泣く声が聞こえると言われている。
※この廃墟は隣で鉄工所を経営する林さんが所有されているそうです。中に入るには林夫妻の許可が必要らしいです。…
414Taichung CityWuri District五光里Wuguang Road500
【台湾】台中烏日鬼屋 詳細へ -
花蓮湾を見渡せる高台にある旧日本軍の軍事施設跡。日本兵の幽霊が出ると噂され、台湾十大鬼屋の1つに数えられる。
瓦葺きの和洋折衷の建物は、元は太平洋戦争勃発の翌年、1942年4月に台湾籍日本兵の募集を行う花蓮港兵事部(兵士募集と兵役管理を行う軍の組織)の建物として建築されたそうだ。
太平洋戦争の終結後は民国政府の軍隊がここを接収し、その後アメリカ軍顧問団のレジャーセンターとなる。1979年の米華断交以降、松園別館は長く放置されたが、2002年9月23日に歴史的建築物としての認定を受け、現在建物は一般公開されている。
霊が出る原因として考えられることの1つは、この場所が1878年に起きた「加礼宛事件」の舞台ということだ。これは先住民族のクバラン族が清国軍と戦い、多くの犠牲者を出した戦いだ。
もう一つは、やはりこの地に駐留していた旧日本軍が関係していると思われる。この場所は兵事部だけではなく将校のための宿泊施設もあり、ここで神風特攻隊の壮行会が行なわれたことでも知られる。終戦間際になると松園別館近くの花蓮港北飛行場からも特攻隊の出撃が行われ、特攻隊員は天皇からの「御前酒」を振舞われ、その後出撃していったという。また噂によると、終戦時に松園別館で切腹した日本軍人がいたという話もある。
古老の話によると、夜中に館付近で軍人がブーツで歩くような足音が聞こえたり、日本の軍歌が聞こえたりするそうだ。…
970Hualien CountyHualien City民勤里Songyuan Street65號
【台湾】松園別館 詳細へ
【台湾】松園別館のコメント
戦争というものは、本当に多くの人が死んでいくものだなあ、と説明読んでいて思ったよ。
ユーザーさん
彰化縣員林市にある廃病院。かつて台湾10大鬼屋の1つに数えられていたが、2021年9月11日、跡地に総合社会福祉施設が建設されることが正式に決定された。施設は2023年3月にオープン予定だという。
この病院は1964年に結核治療の専門病院として開設されたが、その後財政状態が悪化して1997年ごろに廃墟になったと言われている。
鬼屋とはお化け屋敷のことで、台湾では特に何か事件などの曰くが無くても、廃墟は概して鬼屋と呼ばれる傾向があるらしい。しかしここが心霊スポットとして有名なのには理由がある。1つはやはり結核病棟であったので、入院中に亡くなる人が多かったということ。
もう1つは1999年9月21日に起きた台湾大地震(台湾では921大地震と呼ばれる)と関係している。員林市でも地震による被害は大きく、この病院廃墟は遺体の一時安置所になっていたそうだ。地震で亡くなった犠牲者23人の遺体がここに収容されていたと言う。
心霊現象としては、亡くなった方のものと思われる声が聞こえる、黒い影を見たなどの話が聞かれる。また実際に病院内を探索した人の話では、レントゲン室の近くの窓で何者かに手で引っ張られた感覚があったという体験談も寄せられている。…
510Changhua CountyYuanlin City三義里Hui'an Street78
【台湾】員林醫院(改装予定/跡地) 詳細へ
【台湾】員林醫院(改装予定/跡地)のコメント
下記のサイトよると、やはり員林醫院は十大鬼屋に入っていないですね。もう無くなってしまうので除外されたのでしょう。
https://onepage.nownews.com/novel/strange/ghost-house
ユーザーさん
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