戸田神父は、山梨県東山梨郡の寒村出身。
旧制日川中(同県)を中退し、開成中(東京都)に入学。
17歳でカトリックの洗礼を受け、ローマへ留学。
1941年に札幌教区長に着任した。
開戦後の42年3月、「米英を相手に戦争したら、どうなるかわからない」と同僚の神父に言ったとして、旧軍刑法違反で逮捕された。
裁判では無罪になったが、特高警察による監視は続いたという。
44年には横浜教区長に転任。
しかし、終戦3日後の45年8月18日、横浜市の保土ヶ谷教会内で何者かに頭を撃たれ、血まみれの死体で発見された。
戸田神父は殺害される2日前、単身で軍に出向き、接収された教会などの返還を求めていた。
その際、軍から激しい怒りを買った、そうした経緯と目撃情報や遺留品などから、憲兵が戸田神父を射殺したと見られている。
しかし、事件は未解決のままだ。