1994年W杯でのオウンゴール
初戦の1次ラウンド第1試合・ルーマニア戦を1-3で落とし、第2試合の開催国アメリカ戦は、決勝トーナメント進出のためには負けられない状況となった。コロンビアの守備の要として先発出場したエスコバルだったが、前半35分に痛恨のオウンゴールをアメリカに献上してしまった。その後、追加点を許したコロンビアは、終了間際に1点を返すも届かず1-2で敗戦。この時点でコロンビアの1次ラウンド敗退が決定した。
帰国後
1次ラウンド終了後、コロンビア代表チームはアメリカで解散となったが、代表選手の多くは国民の非難や報復などの後難を恐れて帰国を拒否し、アメリカに留まった。 そんな中でエスコバルだけは「自分はあのオウンゴールについてファンやマスコミに説明する義務がある」と帰国を決意。仲間たちの制止に耳を貸さず、ただ一人、母国コロンビアへ帰国する。
1994年7月2日の深夜3時半頃、エスコバルは母国コロンビアのメデジン郊外のバーで友人と歓談した後、店から出たところを暴漢に銃撃され死亡した。
エスコバルと一緒にいた友人によると、犯人のウンベルト・ムニョス・カストロは銃撃の際に「Gracias por el auto gol(オウンゴールをありがとう)」「Gol!(実況者がゴールシーンの時に絶叫する言葉)」と口にしながら、12発もの銃弾をエスコバルに向かって撃ち込んだ。まだ大会の期間中に起こったこの衝撃的なニュースは世界中に報道され、直後に行われた決勝トーナメント1回戦のドイツ-ベルギー戦とスペイン-スイス戦では彼の死を悼みキックオフ前に黙祷が捧げられた。この一連の事件は後に「エスコバルの悲劇」と呼ばれ、今もなお語られている。
犯人は複数犯?
この事件は、「コロンビア代表がまさかの1次リーグで敗退したことへの報復行為であった」と広く信じられているが、果たしてこの犯人が単独で及んだ犯行だったのか、またワールドカップを賭けの対象としていた不法賭博シンジケートが関与していたかどうかについては未だ明らかにされていない。
カストロ
シンジケートの用心棒だった犯人カストロは1995年6月にエスコバル殺害の罪で逮捕され、コロンビア国内の裁判所で懲役43年の判決を受け服役したが、模範囚であるとして刑を短縮され、2006年に出所したらしい。