ナゴヤ球場(ナゴヤきゅうじょう)は、愛知県名古屋市中川区露橋二丁目にある野球場である。
1996年までプロ野球球団・中日ドラゴンズの本拠地球場で、1997年のナゴヤドーム完成後は、中日ドラゴンズ二軍の本拠地球場および練習場となっている。
中日ドラゴンズは1948年(昭和23年)当時、本拠地球場を持たず、試合の度に各地転々としていた。
運営会社の「株式会社中部日本野球倶楽部」が増資されたのを機に
名古屋大空襲によって焼失した軍需工場跡地へ球場を建設することが決定。
突貫工事で着工から2か月足らずの12月2日、収容人数25,000人総木造スタンドの中日スタヂアムが完成。
客席は、スタンドというよりは見世物のやぐらや足場に近い代物で
木造のため観客が足を踏み鳴らすとガタガタと大きな音が鳴り下は空洞だった。
スタンド下は弁当の空き箱から紙くずまで巨大なゴミ箱のように扱われ
さらにその上へタバコの吸殻を捨てた事によるボヤが度々発生した。
1951年(昭和26年)8月19日の午後4時前、名古屋ドラゴンズ(現・中日ドラゴンズ)対読売ジャイアンツ19回戦の3回裏名古屋攻撃中
巨人先発の別所毅彦に対して名古屋4番の西沢道夫が打席に立った際に
ネット裏スタンド、内野指定席上段から火災が発生した。
火は折からの7.4メートルの強風にもあおられ瞬く間に燃え広がり
午後5時40分の鎮火までに球場がほぼ全焼した他
正面スタンド入口脇の球場事務所、熊谷組の事務所、駐輪場、周辺の民家4戸、工場3棟も全焼してしまった。
満員の観客、両軍の選手、関係者から内野席を中心に死者4名、治療を受けた重軽傷者318名、治療を受けられずに帰宅した負傷者多数を出す大惨事となった。
出火の原因は床板の隙間から下に落ちたタバコの吸殻が床下にたまっていた紙屑に引火した為と見られる。
火災の3か月後となる11月15日、実質新築となる再建工事を着工
翌1952年(昭和27年)4月5日、ネット裏に2階席を備えた鉄筋コンクリート造の新スタンドが完成。
収容人数は、30,000人となった。