タイを代表する名門校の一つであるタマサート大学には、血塗られたエレベーターがある。これは、1976年10月6日に発生した「タマサート大学虐殺事件」に関連するものだという。
・タマサート大学虐殺事件が起きた経緯
1973年10月、学生運動による革命により軍事政権のタノーム・キッティカチョーン首相は亡命し、タイは民主化された。しかし1975年に近隣のベトナム、ラオス、カンボジアで共産主義政権が成立すると、タイは共産主義勢力の脅威にさらされることになった。また、ラオスとカンボジアからの大量の難民がタイに押し寄せ、タイの世論は再び右傾化した。
そんな中である事件が起きた。1976年9月、どうしてもタイに戻りたかったタノーム元首相が、タイ政府の反対を押し切り、出家するという条件で強引に亡命先のシンガポールからタイに帰国したのだ。
1976年10月4日、これに抗議する左派学生や労働者約1万人がタマサート大学のサッカー場に集まり、タノーム元首相の処罰を政府に要求した。抗議は翌々日の10月6日も続き、とうとうデモ隊は警戒する国境警備警察、バンコク市警察や民間右派組織と衝突し、銃撃戦にまで発展。
銃撃を受けた学生たちは、教養学部棟にあるエレベーターを使って逃げようとしたが、エレベーターの扉がなかなか開かない。結果的にエレベーター前に多くの人が集まり、その群衆に向かって警官隊が発砲したため、エレベーター内は血の海と化したそうだ。
この事件の犠牲者は政府発表で死者46名、負傷者167名とされているが、当時の状況とデモ参加者の人数から考えて、少なくとも100名以上の死者はいただろうと言われている。この集会を制圧したあとの午後6時、サガット国防相は国家統治改革評議会の名の下に戒厳令と軍事クーデターを宣言。この事件は「反動クーデター」、「ホック・トラー」、「血の水曜日事件」または発端のデモ集会弾圧から「タマサート大学虐殺事件」と呼ばれる。
・心霊現象
エレベーターにこびりついた血痕は、どうやっても消すことが出来なかったので、事件後に大学側はエレベーターを真っ赤に塗り直したそうだ。
しかし学生や教員がこのエレベーターを使うと、数々の怪奇現象が起きた。エレベーターの壁に鮮血がにじみ出る、あるいは1人でエレベーターに乗っているのに他人の気配を感じる、1人しかエレベーターに乗っていないのに、まるで大勢の人が乗ってるかのように重量オーバーのアラームが鳴るなど。
このエレベーターは老朽化のために撤去されたが、虐殺事件の歴史を後世に伝えるため、現在は教養学部棟の階段踊り場に赤いドアだけが設置されている。
なお、この赤いエレベーターは、2009年に制作されたタイの映画『Haunted Universities』のモデルにもなっている。
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