肥薩線列車退行事故
1945年(昭和20年)8月22日正午過ぎごろ、D51形蒸気機関車2両(1両牽引、もう1両が後押し)に客車5両、貨車8両編成の上り人吉方面行き復員列車が第二山ノ神トンネルにさしかかった。しかし列車は勾配を登り切れず、先頭の本務機はトンネルから出たものの、排煙の充満するトンネルの中で客車や後補機が立往生してしまった。品質の悪い石炭の影響で、トンネル内には黒い排煙が充満し、排煙を逃れようと線路に降りた乗客は次々とトンネル内を入口へ歩き始めた。
そこへ突如、列車が後退し始めた。貨車には当然車内放送設備がないため車掌から注意を喚起できず、また後補機の乗員も排煙にむせ返って指示を出せない状態だった。待避場所も照明も無い上に排煙が充満したトンネル内で、線路上を歩いていた乗客は次々と列車に轢かれた。
非常事態を告げる機関車の汽笛を聞いた地元住民や真幸、吉松の警防団が第二山ノ神トンネルに向かったが、トンネル内は排煙で黒くなった遺体やその破片、生存者のうめき声が響く惨状だった。この事故で、49名が死亡した。
心霊スポット
事故直後から故郷を目前に命を絶たれた復員兵の霊等がトンネル内に頻繁に出る為十七回忌に当たる1961年(昭和36年)8月22日に慰霊碑が建てられたと昔、某心霊サイトで書かれているのを見た。
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