1972年10月12日
アンデス山脈に旅客機が墜落した。
乗員乗客は全員で45人。
死者については、事故当日の即死者12人とその後数日間のケガ人達、さらに雪崩れが10月29日に襲い、残った機体の一部がつぶれて9人の、合わせて29人が亡くなった。
墜落位置情報が間違いだった事と、悪天候が続き捜査が長びいた事で、
「もう生存者は居ないだろう。」
と言う判断で墜落から8日後に捜索は打ち切られ、この情報の間違えこそが怖い話しだ。
生き残った生存者達は、残骸から見つけた携帯ラジオでニュースを聞いてこの事実を知った。
体力と勇気ある3人が自力で下山して、救助を求める事を決意して出発。
途中1人は引き返したが、2人が雪の無い場所まで12日間かけてたどり着き、馬に乗ったチリ人と出会う事ができた為、この情報によりふたたび捜索が始まった。
墜落から72日後にヘリコプターで救助がはじまり、最終的に16人が生還できた。
生還できた人達は、この墜落事故で亡くなった人達の、御遺体を食べて72日間生き延びる事ができました。
細かい情報としては、生還者達が食べた御遺体の相手の殆どが、親友・級友だったとのこと…
どれほどの葛藤に悩んだのか…
しかし生きて帰る為には…
墜落位置情報さえ間違えていなければ、死者数は最低限の即死者だけであっただろうと推測できます。
自力で下山した勇者に敬意を表したい。