戦国時代の天正9年(1581)に毛利方の吉川元春と織田方の羽柴秀吉が、この地にて対峙した。、秀吉方に従軍していた武将・小木弾正輝信は家来を引き連れて夜間の見回りをしていたところ、敵兵の一団を見つけ切り合いとなった。不覚にも輝信の袴の裾が切り株に引っ掛かり足を取られ倒れた為、敵兵に切りつけられ首を討たれて非業の死を遂げた。その時に輝信に同行していた6人の侍も無念の死を遂げたという。この頃から夜、この場所を通行すると鍔競り合いの音が聞こえたり、小木弾正輝信のうめき声、甲冑を着た幽霊が現れるようになったと言い伝えられる。