江戸時代にはこの場所に刑場があり、また第二次世界大戦中には空襲により多くの人が亡くなったと言われ、様々な曰くのある公園。
いわくその1 開かずの祠(八重垣大明神)
扇町公園の南端、阪神高速入口にあるフェンスに囲われた祠。この祠は、北区神山町にある「綱敷天神社」によって管理されており、入口の扉はしっかりと施錠されていて、一般の人は参拝出来ないようになっている。
この祠の曰くはこんな話だ。江戸時代、第2代将軍秀忠の治世。堀川の渡し守の息子、与八と、浪速屋の娘お糸は恋仲であった。しかし、ここにもう一人お糸に恋心を抱く十三郎という男がいた。2人の恋仲を恨んだ十三郎は、ある時とうとう与八とお糸に斬りかかった。この十三郎の襲撃で与八は即死、お糸も重傷を負った。
十三郎は捕らえられ、ここ堀川端(扇町公園周辺の旧名)の刑場で処刑されるが、恋人を亡くしたお糸は自分の薄幸を恨み、「悪霊となってこの地に残り、呪い続ける」という旨の言葉を残して自害した。それから70年後、八重垣姫と吉五郎という若者にも同じような悲劇が起こり、祟りを恐れた人々によって、八重垣姫を祀る祠が建てられたということらしい。事の発端であるお糸さんは祀らなくていいのか?という疑問もわくが、あるいはお糸さんも合祀(ごうし)されているのかもしれない。
実際に今でも祟りがあるのかは不明だが、神社によって管理され、フェンスで封鎖されていることから、少なくとも祟りがあると恐れられているのは確かなようだ。
いわくその2 空襲犠牲者の霊
第二次世界大戦中、扇町公園の南東の一角に防空壕があったと言われている。大阪が大空襲を受けた際、多くの人がこの防空壕に逃げ込んだが、運悪く防空壕にも爆弾が落ちて入口が埋まって崩れ、200人以上の人が生き埋めになったという。生き埋めになった人達の遺骨は掘り出されず、今でも埋まったままになってるという噂だ。
やはり空襲犠牲者の霊なのだろうか?まだ古いプールがあった頃、水に潜ると子供の声が聞こえるという噂があった。このプールは現在ある屋内プールが建てられる前にあったプールで、公園の南西側の入口付近にあったらしい。今でも古いプールの飛び込み台があり、オブジェとして再利用されている。また夕方になると、この辺りに兵隊の幽霊が出るとも言われている。
それに加え、ここは明治時代の1882年に堀川監獄(のち大阪監獄に改称)が設置された場所でもある。大阪監獄は1920年に堺市に移転し、1923年に扇町公園が開園されるという経緯があった。
どんな幽霊が出ましたか?
少年0
男性4
老爺1
動物0
少女1
女性1
老婆0
正体不明0
↑ボタンをタップすると投票できます(3回まで)