豊見城市の豊見城城祉公園内にある戦時中の野戦病院壕。この壕はアメリカ軍の上陸直前の昭和20年(1945)に建設され、ここでは通称「山部隊」と言われる第24師団と積徳高等女学校の生徒25名からなる「ふじ学徒隊」が活動していた。
アメリカ軍上陸後は、激戦地の首里、浦添、西原、那覇一帯から負傷兵が次々と運び込まれ、収容能力を超える600名余りの負傷兵を抱えることになった。このため負傷兵には医薬品や食事も十分に与えることが出来ず、薄暗い壕の中で衰弱して亡くなる兵士も多かったそうだ。
戦況の悪化にともない、部隊は糸洲の壕(ウッカーガマ)に撤退し病院壕は放棄された。撤退の際、重傷者には少しばかりの乾パンと水と手榴弾が渡されたという。
今でも壕に入ると「軍医さん・・・」、「看護婦さん・・・」と呼ぶ声が聞こえると言われている。
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