砂押川を渡る橋。念仏橋という名前の由来については2つの伝説がある。
1つは、津波で橋が度々流されるので、江戸時代の享保年間に老婆たちが10年間念仏修行をして祈願した後に架けた橋だから。もう1つは、橋を通る人が、橋で殺されたお菊の供養のために念仏を唱えながら渡ったからだと言われている。それゆえこの橋はお菊橋とも呼ばれる。
やはりここは心霊スポット的に2番目の説を推したいところ。
お菊の伝説は「番町皿屋敷」と似たような筋立てで、それによれば今から220年くらい前、この橋の近くに加藤田という豪族がいて、その屋敷にお菊という下女(女中)がいた。ある時、お菊は主人の家宝を誤って壊し、そのためにこの橋から逆さ吊りにされて処刑された。それからと言うものお菊の幽霊が橋に現れるので、人々は念仏を唱えながら橋を渡ったという。
また別の伝説によれば、お菊は屋敷の近くに生き埋めにされ、その場所は「菊ヶ岡」と呼ばれたそうだ。この場所は念仏橋のすぐ南東の小高い丘で、多賀城市大代1丁目14辺りだという。その後、お菊の祟りで屋敷の所有者は次々に死に、ついに屋敷は塩竈の雲上寺に寄付され、お菊の霊は住職に供養されたという。
近年では橋で事故死した人の霊が出ると噂されている。
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