1988年7月16日、プエルトリコ・バヤモンのバヤモン・スタジアムでのWWCの興行中、レスラー兼ブッカーのホセ・ゴンザレスと控え室で口論を起こし、シャワールームにて腹部をナイフで刺される。刺し傷が肝臓に達し、翌7月17日、出血多量により死亡した。
事件が起きた背景
①
ゴンザレスはWWCではブッカーを兼任し、現場を仕切る立場でもあった。ブロディは自分の要求が通らなければ当日の試合でも平気でボイコットすることがあり、その横暴な振る舞いに日頃から怒りを募らせていた。
②
WWWF時代からゴンザレスはブロディに馬鹿にされていた。
③
ブロディはWWCのオフィスに金を貸しており、そのトラブルがもとでオフィス側がゴンザレスに殺害を依頼したという噂があった。
無罪
ゴンザレスは殺人容疑で逮捕・起訴されたが、保釈金を払って釈放された後、1989年に陪審で正当防衛が認められて無罪となった。