供中口古戦場というのは、二本松藩の戊辰戦争関連の古戦場である。
「会津への路(戊辰戦争)」にあたる。
ここ二本松が落城し、板垣退助ひきいる西軍が会津へ向かうことになる。
案内板には、以下のエピソードが記されている。
三浦権太夫義彰は、信念的には、勤王だが、東軍として西軍と戦わなければならない立場だった。
それで、戦いを挑むのだが、相手に被害が及ばぬように鏃を抜いて弓を引き、自分だけ自害した。
注目すべきは、エピソードの後に、大正八年五月十七日、正五位を贈られるとあるところだ。
大正の時代になっても、政府は、戊辰の戦いで、刃向かわなかったことを理由に勲章を与えているのだ。
逆の見方をすれば、見せしめで会津への仕打ちがあったという言い伝えは真実味を帯びてくるということでもある。
会津との戊辰の戦いで多数の農兵や切支丹が命を落とした場所
このすぐ裏手に二本松刑場の慰霊碑もあって様々な霊が目撃されている
上を通る安達ヶ橋で夜中車を走らせていると鎧武者を見たとの噂もある
橋の反対側は黒塚があり
場所的にかなり曰く付である
どんな幽霊が出ましたか?
少年2
男性2
老爺1
動物1
少女0
女性0
老婆0
正体不明2
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