サロマ湖にある某ホテル
浴衣を着た髪の長い女性の霊が鏡の前に正座して髪の毛をとかしている。
サロマ湖
膝丈の着物を着たおかっぱと坊主の子供がボール遊びしているのを見た人がいる。
空一面に人の顔が見えたとかの噂がある、
サロマ湖の霊に関しては、戦争中に機雷が流れ着いて、爆破処理の準備中に爆発し、100人以上が死んだ事故があり、爆発事故で死んだ霊がサロマ湖に流れてきたのではないかと推理した。
湧別機雷事故について
1942年(昭和17年)5月26日、北海道紋別郡下湧別村(現在の湧別町)のポント浜にソ連製の機雷が漂着し、発生した爆発事故。海岸に漂着した機雷を爆破処理するために移動していたところ爆発し、警察官や村の警防団、見物人など112人が死亡し、112名が負傷した。
被害が多くなった理由
爆破処理のお知らせを学校、隣組等を通じてあまねく知らされ、さらに湧網線には4両編成の臨時列車も運行されて見学者の便宜が計られるなどしたため、村内は祭りのような活況を呈していた。各地から押しかけた千人単位の見物人は、続々と会場のポント浜に向かいつつあった。1時間前には、すでに400人ほどが到着していた。
一方、会場に総動員された警防団は「爆発の威力を知らしめるため、2個の機雷は時間差を置いて爆破させる。しかし、最初の爆破で誘爆の恐れがある」との判断のもと、機雷のうち1個を移動させる作業に着手。17名の警防団が機雷にロープをかけ、人力で曳きはじめた。
ところが機雷を波打ち際から砂丘まで移動させた午前11時26分、警防団が取り囲む中、機雷が突如として大爆発した。移動作業に関わりながらも奇蹟的に生還した者は「青白い閃光と共に爆風で吹き倒され、様々なものが落ちてきた。ようやく気が付いて立ち上がってみると、体の上には土塊や人間の体の一部分が散乱していた。よろめきつつ逃げるまわりには、黒焦げの肉片が一面に散らばっていた」と語っている。
この爆発では、106人が即死した。爆心地には直径10 m、深さ3 mの大穴があき、半径50 m以内には原型をとどめない遺体、粉砕された部位が散乱。浜辺のハマナスは鮮血と肉片が飛び散り、慄然たる様相を呈していたという。さらにその後、重症者のうち6人が容体の悪化で死亡した。
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どんな幽霊が出ましたか?
少年2
男性3
老爺1
動物0
少女2
女性3
老婆0
正体不明1
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