班女塚(はんじょづか/はんにょづか)。下京区糸屋町のビルの裏手にひっそりとたたずむ塚。未婚の女性が塚の前を通ると結婚できなくなるという、未婚女性限定の呪いが伝えられている。この塚の由来については鎌倉時代に成立した『宇治拾遺物語』に書かれており、それは次のような内容だ。
昔、この辺りに美しい姉妹が住んでいたそうだ。両親はすでに他界していたため、2人の姉妹は父親が残した寝殿造りの家に住んでいた。やがて姉は縁があって結婚し、夫と共にこの家に住み続けていた。独身だった妹は社交的で、人と話したりすることが好きだったため、人の出入りがしやすい妻戸口(つまどぐち:玄関脇の部屋)で暮らしていたそうだ。
しかしその妹は27、28歳くらいの時に病気にかかって亡くなってしまった。家族は悲しみ、妹の遺体を鳥辺野(京都の南にある葬送地)に運んだが、いざ鳥辺野に着くと棺桶の中に遺体がない。慌てて家に戻ると、不思議なことに妻戸口に妹の遺体が横たわっている。仕方なく翌日に遺体を運ぶことにしたが、次の日も同様な事が起こった。そして遺体を動かそうとすると今度は根が張ったようにビクとも玄関から動かなかった。
生前、人に会うのが好きだった妹はこの場所から離れたくないのだろうと家族は思い、結局妻戸口の板敷きを取り外して、その下に墓穴を掘って遺体を埋葬し、その上に塚を建てた。その後姉夫婦は別の所に引っ越し、家は朽ち果ててこの塚だけが残り、やがてこの塚は班女塚と呼ばれるようになったという。
ところでこの話には班女という名前は出てこないが、いったい班女とは誰かというと、紀元前1世紀頃の中国で前漢の第11代皇帝・成帝の妃であった班倢伃(はん しょうよ)という女性のことだそうだ。しかし後に彼女はその座を趙飛燕に奪われ、皇帝の寵愛を失ったという。しばしば寵愛を失った女性の代名詞として詩に登場する人物のため、男性と縁がなかったまま死んでしまった妹の不遇と重ねて、この塚も班女塚と呼ばれるようになったらしい。
以上のような由来からこの塚の前を未婚の女性が通ると、結婚が破談となるという噂が生まれたようだ。また豊臣秀吉がこの塚を東山佐女牛へ移そうとしたところ、怪奇に見舞われて断念したという記録も残っているらしい。
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