1934年に竣工した古いトンネル。1986年に新しいトンネルが出来たため閉鎖された。
雛鶴(ひなづる)峠という名前は、南北朝時代に雛鶴姫が護良親王の首を抱え、涙ながらに越えた故事に由来している。
鎌倉で幽閉されていた護良親王(後醍醐天皇の皇子)は、建武2年7月23日(1335年8月12日)、足利直義(足利尊氏の弟)の放った刺客によって暗殺される。妃であった雛鶴姫はひそかに親王の首を抱えて鎌倉を脱出し、奈良の十津川へ向かったとされる。
しかしこの時、雛鶴姫は親王の子を宿しており、この峠付近で産気づいた。従者の武士が村人に助けを求めるが、村人は後々足利氏からの咎めを受けることを恐れて誰も助けようとはしない。仕方なく従者は松葉や枯葉などを集めて産屋を作り、雛鶴姫はその中で出産した。しかし季節は冬で、寒さと飢えから姫も、生まれたばかりの皇子もすぐに亡くなってしまった。
雛鶴姫は臨終の際、「ああ無常・・・」と嘆いたことから、この辺りが無生野(むしょうの)と呼ばれるようになったと伝えられている。今でも雨の日の夜に、峠付近で姫のすすり泣く声が聞こえるという噂がある。
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