おから猫は泣いていた。
じっと声を押し殺して泣いていた。
大きな榎の木が一本そびえているだけの、荒れはてた祠に、月の光に照らされて、おから猫の泣く姿が、無気味に映っている。
おから猫の背中には、小さな木が二年ほど前から生えてきた。
木は生えたときのままで、それ以上、大きくも小さくもならない。
木の下には草が生えていた。
おから猫は、自分の背中に木や草が生えてきたのを見たとき、一瞬考えた。
大池の近くまでふらふらと歩いていった。
池に飛びこもうと思った。
池に映った自分の姿を見たとき、あまりのおぞましさに意識をなくしたほどだ。
なぜ、背中に木や草が生えてきたのか。
まったく心当たりがなかった。
池に映る自分の姿をみて、死ぬ気力さえもなくして、座りこんでしまった。
自分を襲った運命をどのように考えたらよいのか、放心して池に映る自分の姿を見つめていた。
生まれたときは、毛並みのよい、誰からもほめられる美しい猫であった。
中国(唐)の偉い人たちが飼っている立派な猫に似ているので、お唐猫と呼ばれるようになった。
猫の仲間からは、一目も二目もおかれるような猫で、誰からもかわいがられていた。
しかし、おから猫は自分の体に異変がおこってきたのに気づいた。
体が次第に大きくなってきた。
どんどん大きくなり、しまいには、牛や馬ほどの大きさになった。
猫の仲間たちは、気持ち悪がり、誰もおから猫に近づかなくなった。
かといって、牛や馬からも相手にされない。
おから猫は孤独であった。
ひとり前津の誰も近づかない荒れはてた祠で、くらしていた。
二年ほど前のことだ。
背中に木や草が生えているのに気づいたとき
「どうして自分だけがこんな過酷な運命に襲われるのか」
おから猫はこのときほど自分の運命をのろわしく思ったことはなかった。
なぜ、木や草が生えてきたのか、今までは、心当たりがまったくなかったが、死を考えたときにふと気づいた。
今になってみれば、一つだけ思い当たることがある。
自分はお唐猫と言われて得意になっていた。
他の猫とは違っているとうぬぼれていた。
尊大な態度が、自然と自分を太らせ、牛や馬ほどの大きさにしたのだ。
他の猫とは違っているという強引な自負心が、神様を怒らせ、とうとう背中に草や木が生えるようになったのだ。
おから猫は何日も何日も泣き続けた。
そして涙も枯れはてたとき、おから猫は自分の運命を甘受して生きようと思った。
誰から、どのように思われてもよい。
自分を襲った運命を素直に受けいれて、ありのままに生きようと決意した。
そのときから、おから猫は祠の前から動かなくなった。
雨が何日ふっても、一歩もそこから動かなかった。
どんなに強い風が吹いても、おから猫はびくともしなかった。
そんなおから猫を見て、人々は手を合わせて拝むようになった。
運命を甘受し、泰然自若とすべてのものを受けいれるおから猫を、人々は、偉大なものとして畏怖するようになった。
おから猫に願いごとを頼めば、願いが叶えられる。
そんな噂が広まった。
人々はこぞって、前津の地に集まり、おから猫の前で、手をあわせた。
中にはおから猫に願いごとを頼むのだからと、おからを山盛りに置いていく人もあった。
おから猫は、まったく表情を変えずに、人々の前に立っていた。
畏怖されるにふさわしい温和な表情だった。
『作物志(さくもつし)』には「城南の前津、矢場の辺に、一物の獣あり。大きさ牛馬を束ねたるが如し。背に数株の草木を生ず。嘗ていづれの時代よりか、此所に蟠(わだかま)って寸歩も動かず、一声も吼(ほえ)ず、風雨を避けず、寒暑を恐れず、諸願これに向て祈念するに、甚だいちじるし。然れども人、其名を知らず、形貌自然と猫に似たる故に、俚俗(りぞく)都(すべ)て御空猫(おからねこ)と称す」と書かれている。