ドナー隊事件とは
1846年5月にアメリカの東部からカリフォルニアを目指して出発した開拓民のグループを指す。
まざまな事件や誤りのために旅程は大幅に遅れ、1846年~1847年の冬をシエラネバダ山脈で雪に閉ざされて過ごすことになり、事実上の遭難状態に陥った。開拓民の一部は生存のため人肉食に及びました。
事件に至るまで
19世紀半ば当時、アメリカ東部から西部への幌馬車による旅は通常4~6か月を要した。しかしドナー隊はユタ州のワサッチ山脈とグレートソルトレイク砂漠を横断するヘイスティングスの近道と呼ばれる新ルートを選択した結果、大幅な遅れを出すことになった。荒れた地形と、今日のネバダ州内にあたるフンボルト川沿いの旅程で遭遇したさまざまな困難のために、多数の家畜と幌馬車が失われ、グループ内にも分裂が生じた。
事件発生
1846年11月初頭、一行はシエラネバダ山脈に差しかかる。しかし早い冬の訪れにともなう大雪に見舞われ、高地に位置するトラッキー湖(現・ドナー湖)付近で雪に閉ざされてしまう。やがて著しい食料不足に陥り、12月半ばの時点で幾人かは救けを求めて徒歩で出発した。カリフォルニアから救援が出発したが、救助隊によるドナー隊の発見は1847年2月半ばまで遅れ、この間一行が遭難してからほぼ4か月が経過していた。結局一行87人のうち、生きてカリフォルニアに着いたのは48人であり、多数が生存のため人肉を食べていた。
シャイニング
映画のシャイニングであのホテルに向かう際にダニーがドナー隊の悲劇を父のジャックに話していた。