Sさんは、東京都台東区上野に住んでいる会社員。
ボーナスで一眼レフミラーレスカメラを購入したので、隅田川花火大会を撮影してみようと訪れた。
銀座線浅草駅で降りると、大勢の人込みに息ができないほどだった。
浴衣姿の人も多く、夏が始まったという気持ちになったけれど、見渡す限りの人の波で、押し合いへし合いするうちにすっかり疲れてしまった。
それでもなんとか、第一打ち上げ会場付近の人込みの中で場所を確保できた。
1900になると打ち上げが開始された。
色とりどりの花火が隅田川前のビル群の隙間から尾を引いて飛び出していき夜空を引き裂いて炸裂する様は、思わず目を奪われる華麗さだった。
撮影も順調に終わり花火大会は終了。
帰りは行き以上の行列の中、なんとか電車に乗り込み、帰路についた。
家につくとさっそく撮影した動画素材を確認した。
軽く編集でつなぎ合わせてYouTubeにアップし、知り合いに見せようと思っていた。
炸裂する花火の鮮やかさと心臓にとどろく重低音がうまく撮れていた。
ところが、いくつか動画素材を確認しているうち、Sさんは引っかかるものを感じた。
画面下に花火を見つめる群衆が映り込んでいたのだけど、その中の一人の若い女性だけ、花火ではなくSさんのカメラの方向を向いていたのだ。
みんなが花火に目を向ける中、一人だけ別のところを見ているのも引っかかるし、まるで睨むような表情だったのが、Sさんのカメラを見ているわけではないにしろ、なんだか気持ち悪かった。
ここは編集でカットしよう、そんなことを考えながら次の素材の確認に移った。
女性は、まだ花火ではなくSさんのカメラの方を向いていた。
しかも、さきほどよりカメラの方に近づいている気がする。
だれか知り合いを見つけたのだろうか。
次の素材に移った。
女性はまだカメラ目線だった。
さらにカメラとの距離は近づいていた。
・・・Sさんは次々に素材を確認していった。
花火というよりカメラを見つめる女性が気になり始めていた。
女性はずっとカメラ目線で、素材が新しくなるごとに、どんどんSさんの方に近づいていた。
ほぼ連続で撮影していた素材にもかかわらず、次の素材にいくと、カメラまでの距離が縮まっている。
まるでワープしているみたいだった。
こんな人込みの中、一瞬で移動できるのか。
Sさんはだんだんと気持ち悪くなっていった。
どんどんどんどん女性は近づいてきて、Sさんのカメラから、手を伸ばせば届きそうなほどの距離まできていた。
女性は上目遣いで睨むような視線をSさんのカメラにじっと向けている。
こんな女性がいたら花火会場で気づきそうなものだけど、まったく記憶になかった。
次の素材データをクリックする指が震えた。
何が映り込んでいるのだろうと不気味だった。
動画を再生した。
女性は、もう映り込んでいなかった。
Sさんが撮影していた場所を通り過ぎてどこかに移動したのだろう。
「ねえ、なんで撮ってるの?」
その時、突然、はっきり女性の声が動画内で聞こえた。
カメラのすぐ近くでしゃべったみたいに音声はクリアだった。
話しかけられた記憶などなかった。
鳥肌が立つのがわかった。
・・・いや、とSさんは思った。
今の声は本当に動画の中から聞こえたのか。
妙に生々しくてリアルな声だった気がした。
Sさんはおそるおそる視線を自分の背後に向けていった。
「ねぇ、なんで撮ってるの?」
Sさんの背中にまとわりつくように、動画に映っていた女性がこちらを見て笑っていた。
忠告
Sさんが撮影した動画はYouTubeのどこかにアップされているらしく、問題の女性がはっきり映り込んでいる。
ただし、その動画を見ると、見た人のもとに女が現れ、こう囁く。
「ねぇ、なんで撮ってるの?」と・・・