山一つ開発した住宅団地に家がありました。
そこは昔、地域の焼き場(祭場)があったけれど、大手開発会社が買い取って、分譲住宅街にした所でした。
昭和40年代は、そんなところが多かったのではないでしょうか。
引っ越しした頃、私は幼稚園ごろ。建て売り住宅の売れてない空き家も多く、子供も少なく、十軒入っているかどうかという感じでした。
店もなく、子供が遊ぶ所は、公園か家か。好奇心旺盛な子供にとっては退屈で、探検と称してあちこち空き家に入ってみたり、大人が行ってはいけないと行っていた山に入ってみたり。(マムシも居たりするところだったので、今思えば恐いものです。)
団地の片隅に、小さな小山があってある日、遊び友達数人と上がってみました。遊歩道みたいにコンクリートで道をつけてあり、階段を上がるといくつかの小さな社がありました。
「○○稲荷」入り口に札が立ってます。
「ここ、秘密の遊び場にしよう!」一人が言い出して、みんなで賛成しました。
ままごと道具を運び込んで、草で料理を作ったり。でも、男の子はすぐに飽きて女の子だけがたまに、遊ぶ場所になってました。
特に教えられたわけではありませんでしたが、なぜか私は神様にはお供えをしないといけないと思っていて、ままごとの中で、草で作った汁や、泥で作ったおにぎり、団子などをお供えしたりしてました。
ある日のこと。
友達と遊んでいて、いつの間にか私だけになっていました。
(習い事があったのを忘れていて、あわてて帰ったと数日後聞きました。)
遅いなぁ、と思う位でまさか置き去りになっていたとは思ってもいなかった私は、そのまま一人で遊んでいました。
夕方近くなり、さすがに帰らないといけないと思った頃、「もう、帰らないとダメよ。暗くなるよ。おかあさんが待ってるよ。」と、声をかけられました。「うん。でもお友達帰ってこないから。」すると、「大丈夫。お友達は帰ったよ。」女の人の声でいうのです。
「わかった。帰る。」と、立ち上がって振り返ると、誰もいませんでした。薄暗くなりかけていて、お稲荷さんの社の影も濃くなっており、今も不思議なのですが、急に怖くなった私は、一目散に山をかけ降りました。降りてから、小山を見上げると、そこまで日もくれていませんでした。でも、家に帰らないとという一心で家まで走りました。
母の顔が見えて、とても安心したのを覚えています。
帰って話をすると、母は恐い顔をして、「人さらいにあっても知らんよ。お化けもおるんじゃから。」と言いました。あれから、なぜかそこには興味もなくなり行かなくなりました。
実はその数日前に狐が家の前で死んでいたのです。車にはねられていました。
父が、かわいそうにと言いながら空き地に埋めてやってまして、私は、その様子を見て、花を供えてあげました。
数年後、心霊的なことがいろいろ起こった時に、霊能者のおばあさんかお帰りら母が聞いたことですが、もともと山には稲荷さんが祭ってあったのですが、開発にあい正式な作法もなく、小山の上に移動されたものだったということです。
なので、○○稲荷さんの、神様は、怒ったまんまだと。焼き場の跡もあるし、あんまりよくない場所(団地)ですね、といわれたそうです。
(山の下の部落の人のお墓も多数あって、山の中に墓石がたくさん積んであるのも見たことがあります。)
一回、そのおばあさんに会うことがあって、その話をしたことがあるのですが、ニコニコ笑って、「お供え喜んでますよ。(泥団子) でも、もう、いくのはやめましょうね。お母さんのいうことをよく聞きなさい。」と言われました。
それ以外、何も言われませんでしたが、何事からか守ってもらったんでしょうかね?
まぁ、小さい子供が行方不明になっているというニュースもよくありましたし、今考えれば怖い状況だったのかも。
小さい頃の不思議な話でした。