1964年8月13日に開園してフラミンゴショーの人気などから1970年に年間117万人もの入場者数を記録し、外房線に行川アイランド駅が設けられた。しかし、レジャー施設が皆無であった近隣の鴨川町(現:鴨川市)に大規模水族館の鴨川シーワールドが1970年10月に開園すると、当園の入場者数は同年から減少しはじめた。
1973年には年商10億円強、1974年には年商15億円強と好調さを取り戻すものの1975年には不況で入場者が激減。1976年には約50億円の負債を抱えて会社更生法を申請。その後、当時のオーナーが社長を務める日本冶金工業が経営を引き受けた。その後は子会社である冶金興産株式会社が管理し、株式会社行川アイランドが運営を受託する形となったが、同年以降は一度も黒字になっていない。
1970年代にかけて、現在の鴨川市・南房総市・館山市や周辺地域で太海フラワーセンター(鴨川市)・ロマンの森共和国(君津市)・マザー牧場(富津市)など中小規模の観光施設、リゾートホテルが相次いで開業したが、1983年の東京ディズニーランド開園で観光客を大きく奪われた。バブル景気時期は南房総のレジャー施設を泊まりがけで周遊するなど入場者数は一時持ち直したが、バブル崩壊後の景気低迷やレジャーの多様化で、入場者数と宿泊者数が減少して累積赤字の増加が続いた。1997年に東京湾アクアラインが開通して房総半島へのアクセスが改善されるも、鴨川市や館山市方面と異なり接続道路から大きく外れ、また開通当初は通行料金が高額で通行量が少なく恩恵はほとんど得られなかった。
近隣の鴨川シーワールドは東京湾アクアライン開通を見越して施設拡張し、日本で初めてシャチが出産するなど話題性から集客力を得るが、行川アイランドはアトラクションの陳腐化などもあり2000年の入場者数は年間19万人まで減少し、売上高も最盛期の半分の6億円となった。開園以来ショーを行ってきたフラミンゴが高齢化し、1羽50万円の購入費用も困窮し、2001年3月26日に日本冶金工業の取締役会で閉園を決定した。親会社にとってレジャー産業は本業ではなく投資しにくかったとされる。
閉園発表を受けて勝浦市で「行川アイランドを存続させる会」が発足して1万5000人の署名を集めたが、自治体からの支援は困難であり、当初の予定通り2001年8月31日に閉園した。
管理会社の冶金興産は2001年10月に日本冶金工業に吸収合併された。企業としての行川アイランドは清算業務を行い、業務終了後も休眠会社として存続したが、2007年3月31日に解散した。
閉園後の敷地は2004年3月に共立メンテナンスが4200万円で取得した。複合リゾート施設「ウエルネスの森」として開発を目指し、2007年10月に温泉井戸を1本掘削したものの、以降大きな進展は見られなかった。2018年になり共立メンテナンスは、同年8月29日の千葉県環境審議会・部会に於いて、ホテル2棟(計228室)を建設するという跡地活用の計画を表明し、2020年春からこのホテルの着工を開始する予定としていたが、コロナ禍や建設資材高騰などのため2024年になっても未だ着工は開始されていない。
して、この場所の曰くだが。2013年、この行川アイランドへ向かうトンネル(現在閉鎖)の中にて血まみれのTシャツが発見された事件があり、その事件から男性の霊を目撃したという報告が相次いだ。
※廃墟には、まだ心霊スポットにはなっていないけど雰囲気が怖い場所も登録されています
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