貝塚ICから市道を秬谷川(きびたにがわ)に沿って2キロほど南下した場所にある墓。墓は秬谷隧道が出来る前の旧道に面しているが、これは江戸時代からある古い道で、貝塚から和歌山方面に通じていたらしい。
現地の説明版によれば、江戸時代の文化年間(1804-1818)、貝塚遊郭にお千代という美貌の遊女がいたと言う。しかしお千代は病気にかかってしましい、郷里の紀州(和歌山県)に帰ることになった。お千代はこの場所を通った際、ふと川面に写った自分の姿を見た。そこに写っていたのは病気でやつれた哀れな自分の姿で、このままでは故郷にすら帰れないと悲観したのか、お千代はこの地で断食をして自らの命を絶ったという。そしてこれを哀れに思った村人がこの地にお千代の墓を建てたという話だ。
この墓の近くでは、昔から白い女と鎧武者が出るとの噂がある。なぜ鎧武者が出るのかは不明だが、近くに根福寺城跡があるのが関係しているのだろうか?
またこの墓に面白半分に行くと祟られるとも言われていて、肝試しに夜中バイクで遊女の墓に行った人が、帰り道で事故あったという話もある。
その他関係ありそうな話としては、秬谷新大橋の下で以前首吊り自殺があったそうだ。
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