鹿児島市天保山町、甲突川(こうつきがわ)の河口にある公園。
元々は江戸時代の天保年間、横を流れる甲突川の改修工事で発生した土砂で埋め立てた山だという。この山は幕末に海岸防備のために砲台が設置され、文久3年(1863)に起きた薩英戦争の舞台にもなっている。
この場所に関する曰くは、戦前、天保山大橋を渡った先に赤線地帯があり、遊郭から逃げてきた遊女がこの山で自殺したり、軍人さんと駆け落ちした遊女が心中する事件があったと言われている。
また太平洋戦争中、鹿児島市内が空襲を受けた際、天保山大橋のたもとには空襲犠牲者の遺体がたくさん流れ着き、これらご遺体はここで荼毘に付されたと伝えられている。
具体的な霊の目撃情報としては、公園内の松林で複数の人が女の霊を見た、甲突川で溺れる学生を見て、助けに行くとその学生がいつの間にかいなくなっていたなどの話が聞かれる。
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