この辺りは戦前から公園にする計画があったものの、戦争により計画は中止となり、代わりに高射砲陣地が築かれることになった。高射砲があった場所は現在公園の西側にある少年野球場のある辺りらしい(駅近くの大きな野球場ではない)。
第二次世界大戦後は米軍に接取され「岸根キャンプ」(岸根基地)が置かれていたが、昭和45年(1970)頃から部分解除により土地が返還され、昭和47年(1972)に横浜市に土地が全面返還され、公園として整備された。
ベトナム戦争中の昭和41年(1966)、米軍はこの地に野戦病院(第106陸軍総合病院)を開設した。この病院は最盛期にベッド数1000、4階建て病棟が4棟並ぶ巨大なもので、ベトナムから横田基地に到着した傷病兵が、ひっきりなしに大型ヘリで運び込まれたという。ここでは負傷者の治療はもちろんのこと、戦死者の遺体も受け入れていたそうだ。
戦死者の遺体はきれいに洗い、遺族がショックを受けないために出来る限りきれいに修復を施された(いわゆるエンバーミング:遺体処理)。この事実から、その後この公園に関する色々な都市伝説が生まれた。
例えば「篠原池で戦死者の体を洗っていたため、池の水が赤く染まった」とか「池に死体が浮いていることもあった」など。しかし常識的に考えて、当時池で戦死者の死体を洗うことは考えにくいので、おそらくかなり誇張された話だろう。
ただ、園内にある篠原池は米軍施設よる排水により過去に汚染された歴史があること、またこの池の湧き水は鉄分が多いため石が赤茶けて見えるとも言われるので、恐らくこの辺の話に尾ひれがついたものと思われる。
しかしこの場所が多くの人の生死に関わっていたことは事実で、実際に幽霊の目撃談もある。夜中に公園で黒人兵の幽霊を見た、また公園で発光体を見たという証言がある。その他にも、土の中から体半分(上半身?)だけ出した幽霊が出るという。
どんな幽霊が出ましたか?
少年2
男性17
老爺2
動物0
少女3
女性10
老婆0
正体不明4
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