キリシタンの殉教の地として知られている。乙女峠マリア聖堂は、この地で殉教したキリシタンを追悼するため1951年に建てられた。
これは幕末の慶応3年(1867)、「浦上四番崩れ」と呼ばれる大規模な隠れキリシタンの摘発があり、長崎の浦上村で3000人以上のキリシタンが捕縛された事件に由来する。江戸幕府は翌年に崩壊するが、幕府の禁教政策を踏襲(とうしゅう)した明治政府によって、キリシタンは各地に流罪となった。
明治元年(1968)から翌年にかけ、浦上村で捕縛された信徒とその家族の一部153名が津和野に送られて来た。その当時乙女峠には廃寺となった光琳寺があり、ここがキリシタンの収容所となった。
津和野藩は改宗に応じない信徒に対して酷い拷問を行い、信徒にろくに食事を与えず、極寒の冬の夜、裸にして氷の張った池に投げ込んだり、「三尺牢」という立つこともできない小さい檻に何日も閉じ込めたという。このため明治3年(1870)までに37名が拷問死したという。明治6年(1873)にキリシタン禁制が廃止されるまでこの弾圧は続いたらしい。
信徒の1人に安太郎という青年がいて、真冬に裸で三尺牢に入れられていた際、彼の前に聖母マリアが現れて彼を励ましてくれたと伝えられ、カトリック教会未公認ながら、ここは聖母マリアの出現地になっている。
本来聖母マリアが顕現した神聖な場所なのかもしれないが、このような歴史的背景から一部で心霊スポットと言われている。またここで写真を撮るとオーブが写るという噂がある。
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