轟壕(とどろきごう、トドロンガマ、トゥドゥルチガマ)は、糸満市にある全長約100mの東西に延びる自然壕。ガマ内にたくさんカーブヤー(こうもり)がいたためカーブヤーガマとも呼ばれる。太平洋戦争中は周辺住民の避難壕として整備、使用されていた。
昭和20年(1945)6月15日、この壕に避難していた当時の島田叡(しまだあきら)沖縄県知事は、部下に行動の自由を与えるため沖縄県庁の解散を宣言。このため、「沖縄県庁最後の地」とも言われている。
その後、島田知事は摩文仁の軍司令部壕に向かうため壕を出る。島田知事が壕を出た後、日本兵の集団が壕に割り込んだ来て、住民を奥の湿地帯へ追いやって監視をはじめ、食料強奪や幼児虐殺などを行ったと言われる。
6月25日、最終的に壕内にいた約500人から600人の住民はアメリカ軍に投降するが、それ以前のアメリカ軍の攻撃や日本兵の暴行、さらには餓死者もいたらしく、多くの住民が犠牲になったそうだ。
やはり壕内で亡くなった方の霊が出るらしく、特に白髪のお婆さんの霊が壕の中で座っているという噂が有名。また、修学旅行で轟壕を見学した学生の中には、鼻を突くような異臭がした、あるいは「ここから出られないんだ、出ちゃいけないんだ」という声ならぬ声を聞いた等の体験をした人もいるようだ。
どんな幽霊が出ましたか?
少年5
男性2
老爺1
動物0
少女3
女性1
老婆8
正体不明0
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