累ヶ淵(かさねがふち)という怪談は、噺家(はなしか)や歌舞伎の演目として知られるが、これは江戸時代初期に実際起きた事件を元にしている。二世代に渡る妻子殺害に関する陰惨な内容で、慶長17年(1612)から寛文12年(1672)の60年間に起きたと伝えられている。話の概略は以下のような内容。
羽生村(現在の常総市羽生町)の百姓与右衛門の後妻すぎ(お杉)は、夫との不仲を怖れ、醜く障害のある助という連れ子の男の子を鬼怒川に投げ入れて殺してしまう。
さて翌年になり、与右衛門とすぎの間に娘が生まれ、累(るい)と名付けたが、なんと累は殺された助の生き写しであるかのようにそっくりだった。このため村人は「助がかさねて生まれてきたのだ」と言い「るい」ではなく「かさね」と呼んだ。
やがて累は成長し両親も他界した。すると累は流れ者の谷五郎(やごろう)という男を二代目与右衛門として婿に迎えて家を継いだ。しかし二代目与右衛門(谷五郎)は、生まれつき器量の悪い累を疎ましく思い、累を殺して別の女と一緒になる計画を立てる。
谷五郎はついに累を鬼怒川に突き落として殺害し、後妻を娶った。ところが谷五郎の後妻はすぐに亡くなり、その後も後妻を娶るが病気などで次々に他界。やっと6人目の後妻・きよとの間に菊(きく)という名の娘が生まれた。
その後しばらくは何事もなく過ぎたが、寛文12年(1672)1月、娘の菊に累の怨霊がとり憑いた。累の怨霊は菊の口を借りて谷五郎に殺害されたことを語り事件が発覚。累の怨霊は供養を求めて菊の体に取り憑き、菊を苦しめた。
さてその当時、近隣の飯沼にある弘経寺に祐天(ゆうてん)上人という僧が滞在していて、この話を聞いた上人は累の供養するため読経し、累の霊を成仏させた。なお後日、菊には助の霊も憑依するが、これも上人が成仏させている。
今でも法蔵寺裏手の鬼怒川沿岸に助、累、菊の墓がある。お話では菊(きく)に取り憑いた累と助の霊は祐天上人の読経で成仏したことになっているが、いまだに霊障があるのか、遊び半分で行くと祟られる、怪我をするなどの噂がある。
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