この城では特に大きな戦があったという記録はないが、数百の兵士が命を落としたとも言われている。その理由の一つに、この城の長い歴史がある。その歴史は未だ解明されていないところも多いが、この城は1600年初頭には既に存在が確認されており、1681年に廃城となったと言われている。
1600年初頭に存在が確認されているとあるが、確証がないだけであり、さらに前から存在したという説が濃厚である。
この事を踏まえるとこの城の歴史は100年近い、もしくはそれ以上の物となり、その長い歴史の中で戦に巻き込まれた回数は計り知れないだろう。
それらの歴史的根拠から命を落とした兵士は多いと思われている。
またこの他、城址公園の中にある守谷沼では入水自殺が何件か確認されており、その自殺者の霊とおぼしき霊現象も報告されている。
そしてもう一つ、長い歴史、そして血塗られた歴史とも言える道を辿ってきたこの地。
失われた数多くの命の怨念は長き時が経っても尚残っていると言われており、その裏付けとしてこの城址公園には
"血を流す杉の木"という伝説がある、その概要は以下の通り。
宝永(1751~1764年)のころ、城跡の木を全部残らず切ろうとしたことがあったのですが、この木を切り始めると傷口から血が流れ出てきたのです。
樵の人たちは皆恐ろしがって、近付くこともできなくなってしまいました。
こうして、この杉の木だけが残されることになりました。
杉の木を残したおかげでしょうか、だれも祟られなかったそうです。
(今泉政隣著「関宿伝記」)
上記の通りこの城址公園には血を流す木が過去実在していた。
ではなぜ血を流すのか?それはこの木にこの地で血を流した兵士達の無念が宿っているからではないだろうか?
このように、この城址公園には様々な曰くが存在し、それに比例し心霊現象も多く確認されている。
その中でも多いのは以下の現象。
・苦しむ人間の声が聞こえる
・落武者の霊を見る
・沼の周りで自殺者の霊を見る
・ラップ音がする
・背後から足音がする
いずれもこの城址の曰くに沿うような内容の心霊現象、やはりこの地には戦没者の怨念が残っていると考えて間違いないだろう……。
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