米軍の本土空襲が激しくなる中、終戦間際に建設された中島飛行機の地下工場跡。太田市の八王子山公園墓地の奥に今でもひっそりと地下工場への坑道が残っている。現在、内部で崩落が起きているため、地下工場の入口は鉄格子でふさがれている。
現地の案内板によれば、この地下工場は昭和20(1945)年1月から掘削が始まったと書いてあるが、一説にはそれ以前の昭和19(1944)年11月から建設が始まったとも言われている。掘削工事には当然日本人や朝鮮人の労働者も従事したが、一番大きな犠牲を出したのは中国から強制連行されてきた労働者で、過酷な労働と栄養失調で、50名もの労働者が亡くなったという。
長岡寺のご住職がこれら犠牲者を丁寧に埋葬し、今では一人一人の名前を刻んだ慰霊碑が建てられている。しかし故国を離れて、飢えと疲労の中で亡くなった労働者の無念の思いは強いようで、今でも夜になると坑道の奥からうめき声が聞こえたり、周辺でラップ音が聞こえたりするそうだ。
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