函館市民でもあまりいくことがないのが「四稜郭」は、史跡五稜郭を援護するためにつくられたものです。戦争がおわってしまったのもあり、史跡の工事も途中で終わっています。広大な土地がのこっているのですが、戊辰戦争で最後に追い詰められた兵士たちが散った地でもあるということからいまでも兵士が出ると噂されています。