自分の体を求婚者たちに食べさせたと伝えられる寅子の供養塔。板碑に寅子の姿が現れる?
蓮田の南部、馬込の農地の中にある「南無阿弥陀仏」と刻まれた板碑。俗に寅子石(とらこいし又はとらごいし)と呼ばれている。板碑の文字から、延慶4年(1311年)に唯願という僧が、お師匠である真仏法師の供養のために建立したとされる。しかし、この板碑には別の伝説も伝わっている。それは、昔この付近にいた長者の娘、寅子を供養するために建てられたのだという。今でも3月8日の寅子の命日には、近隣の住民が寅子の供養を行っているらしい。
一部のもの好きの間では、夜中に寅子石の前で「諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽」とか「尸毘王割身救鴿(しびおう かっしん くこく)」などと唱えると、板碑に寅子の姿が浮かび上がると信じられている。それは次のような伝説に基づく。
昔、この辺りの長者の家に「とら、寅子」という名の一人娘がいた。寅子は美しい上に気立てもやさしく、14歳になる頃には、その評判は近隣のみならず遠くにも聞こえた。求婚者は後を絶たず、とうとう求婚者同士で争いが起きるまでになった。
しかしこの事態に一番心を痛めているのは寅子本人であった。思い余った寅子は、とうとう一筆の遺書を残すと自害してしまった。そして両親は寅子の遺言を実行するよりほか無かった・・・
数日後、求婚者たちは長者の屋敷に酒宴に招かれた。いよいよ寅子の婿が決まるのか?求婚者たちは喜び勇んで、高価な手土産をもって長者の屋敷を訪れた。さて宴会がはじまり、宴もたけなわとなった頃、一品の肉の膾(なます)が振舞われた。なんでも寅子お手製だという。寅子が心を込めて作った料理と聞いては食べずにおけない。男たちは喜んでこの柔らかい肉の膾を食べた。
男たちが膾を食べると、長者夫婦は沈痛な面持ちで事の次第を話した。「ただいま皆様が召し上がった膾は、何を隠そう寅子の腿の肉でございます。寅子は、皆さまがあまりに熱心に求婚されるため、悩みぬいて自害いたしました。最期に「せめて求婚された皆に等しく、自分の肉を馳走して面目を立てたい」との遺言でした」
これを聞いた男たちは、寅子の気持ちを理解せず、無理に求婚した自分たちの身勝手さを恥じ、涙ながらに懺悔した。その後求婚した男たちは、寅子のために供養塔を立て、全員満願寺と慶福寺に出家した。
ちなみに上尾市原市の相頓寺にも同様の伝説があり、こちらは「虎御石」と呼ばれている。やはり板碑なのだが、こちらは蓮田の寅子石ほど大きくなく、文字もかなり摩耗している。
どんな幽霊が出ましたか?
少年2
男性0
老爺0
動物2
少女7
女性5
老婆0
正体不明1
↑ボタンをタップすると投票できます(3回まで)