一部の城郭研究家などにより城の存在が指摘されているが、資料や遺構調査などによる確認はとられていない。そのため、百草城という名称ともども、推測の域を出ていない。しかし、近くにある高幡城で多くの武将が亡くなっていることから落武者の霊が出ると言われている。ちなみに城址とされる百草園裏山の南には百草八幡神社が鎮座していて、1051年に陸奥守として赴任する途中の源頼義によって創建されたと伝わる。