高幡城では、1455年1月の第一次立河原合戦で、大石房重などが討死し、関東公方の足利成氏に敗れた関東管領の上杉憲顕が高幡城の麓にある高幡不動にて自害したりと多くの武将が亡くなっていたり、1504年の第二次立河原合戦で上杉朝良、今川氏親、北条早雲と、上杉顕定、足利政氏が多摩川で合戦になった時に拠点として使用された可能性があることから落武者の霊が確認されている。