母が亡くなった時の話です。
初盆でした。私にとっては初めてのことで、お坊さんの対応をしたり、お墓から、仏壇から、盆提灯の手配をしたり、いろいろな用意を1ヶ月前くらいから行ったりして、本当に忙しかったです。
盆になっても、数は少ないですが、身内が来たり、その対応もありましたし。庭の片隅に、蓮の花と、ミソハギを飾り付けたり、肥松を焚いたり、仏式の盆の正式な用意を知ってる方は解ってくださるとは思います。
地域にもよりますが、15日に家族でお経を読んで、7時すぎ位には仏壇のお供え等、片付けました。本を見ながら行事を行いましたので、本来ならこれから、お供えを海か川に流す時間です。
でも、今いる地域では、ごみの日に生ゴミとして出すことに決まっていました。
父が、「今から川か海に流しに行けばいいが。」と言ったので、海の近くに車で行ったのです。
海の近くの地域では、流しているのを見ましたが、よそから来て流せるかといえば、それは無理かな、と思いましたので、途中、砂浜に降りることのできる所で車を止めて、誰かいるか見ていました。
男女が、テントを立ててバーベキューをしていました。夜釣りもしているようです。
海は暗く、波音がしています。男女は居ましたが、声などは波音でほとんど聞こえません。
中学生だった息子に盆舟にお供えを詰め込んで、ビニールで包んだものを持たせ、流してきてと頼みました。
息子は最初嫌がりましたが、岩場なので足元も悪く暗いから、私が怪我でもしたらいけないと思ったようです。行ってくれると言ったので、途中まで私も行って、懐中電灯でてらしていました。
最初投げると岩場に引っ掛かってしまいました。
息子は拾ってもう少し先まで行くと、もう一度投げました。今度は、海に落ちたようです。
私は、「早く戻っておいで!」と、大声で言いました。息子が、慌てたように走ってきました。車まで帰ってくると大急ぎで車に乗ってきたのです。
「恐い!恐い!恐い!」
顔色が悪く少し震えてました。なんとなく嫌な感じがして、車を慌てて出しました。
車の中で、塩を渡して持たせました。
ちょっと行くと、コンビニの明かりが見えたので、家族全員降りるように言って、少し時間を潰しました。
そしてまた、車にのって帰ろうと思いましたが、何があったか、聞いておく方がいい感じがしたので、息子に何があったか、尋ねました。
「あのな、あの時、キャンプの人が居ったじゃん。」
「うん、いたね。」
「だから、僕、そんなに恐いとは思わんかったんよ。笑い声もしてたし。だけどな、藁の舟を投げたとき、一回失敗したじゃん。」
「してたね。」
「投げなくちゃと思ってそれを拾ったとき、耳元で誰か鼻すする泣き声がしたんよ。それ聞いてから僕、怖くて怖くて回り見ても真っ暗だし。だから、ぶん投げて帰ったんじゃ。女の人じゃった。」
まだ、息子の鳥肌は続いているし、顔色もいくぶん戻りましたが、完全には戻ってなかったので、このまま帰宅するのは気が引けました。
何かの本で見たのですが、たくさん人のいるところに行けばついてこないというのを思いだし、家からは少し離れた場所にある大型店舗に行って、閉店まで時間を潰しました。
その頃には息子の状態も戻り、私も嫌な感じもなくなったので、無事帰宅しました。
特にあれから何もないですが、次の年の盆からは仏壇に、「この頃は、時代も違うし盆舟は、生ゴミとして出すからね。ちゃんと、持って帰ってね。」と、声をかけることにしています。
(私たちが恐い思いをしたその夜に、姉が夢を見たそうです。ニコニコ笑いながら、たくさんお供えをありがとうと言う母と、見知らぬ人たちを。先祖さんだったみたいといってました。昔道理、川に流すと本当に霊たちは持って帰ってるみたいですね。だけど、姉がいうには、先祖さんもきちんと話をしたら時代か、と、納得するみたいと言ってたので私は以後、流しに行ってはいません。変なものがついてきても困りますし。不法投棄にもなりかねませんから。)