1538年、足利義明の軍と北条氏綱の軍がぶつかり合う、後に第一次国府台合戦と呼ばれる戦がこの地にて勃発した。この戦では多数の兵が討ち死にし、その霊を慰めるために現在は松戸中央公園となっている地に塚が建てられたのだが、戦時中にこの地に陸軍工兵学校が建立され、その際に誤って土地の一角にあった塚も取り壊してしまった。すると取り壊してからその地で事故や怪奇現象が多発し、現在も未解決となっている、学校の敷地内で人間の脚のみが発見された死体遺棄事件も発生する。それら全てを塚の祟りだと考えた者達は、すぐ近くの空き地に経世塚を建立し戦死者を供養した。するとそれからは事故事件も怪奇現象もパタリと止んだという。時代は現代に移り、経世塚が存在する土地には聖徳大学が建造され、経世塚は現在聖徳大学の敷地内にて丁重に祀られている。聖徳大学の関係者に連絡をすると見学が可能なようだ。