山科区北花山下、稚児川の源流となっている池で、平安時代の昔に稚児(幼い子ども)が入水自殺したという悲しい伝説がその名前の由来になっている。また最近ではあまり自殺者はいないようだが、稚児ヶ池と周辺の山ではむかし自殺者が多かったと言われている。そのため池周辺に自殺者の霊が現れるとも。
稚児ヶ池に伝わる伝説とは以下のようなものだ。
「昔、比叡山のふもとに「愛護の若」という稚児がいたが、その母とは早くに死に別れ、父(蔵人・くろうど)は再婚、継母ができた。ところが、その継母は、「愛護の若」に冷たくあたり、稚児はことある毎に継母から無体の仕打ちを受けたという。また継母のかん言により、実の父親も次第に稚児をうとましく思うようになった。ついに耐えきれなくなった稚児は、家を飛び出し、方々の峰を巡った後、ついにこの地に来て、池に身を投げたという」(京都新聞朝刊 昭和47年(1972)12月2日 第25面)
その他の事件としては、昭和10年(1935)8月10日深夜、大雨のために稚児ヶ池が決壊し、土石流がふもとの北花山地区に押し寄せ、40数名が死傷、8000戸の家が浸水する災害が起きている。
ここで入水自殺した有名人に、明治時代の篆刻家(てんこくか)である山本竹雲(やまもとちくうん)がいる。山本竹雲は茶人としても知られた人物で、明治21年(1888)4月27日に稚児ヶ池にて入水自殺。入水した池の畔には丁寧にたたまれた羽織と揃えられた下駄、そして茶道具が並べられていたという。
どんな幽霊が出ましたか?
少年12
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老婆1
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