鶴見事故とは
国鉄戦後五大事故の一つの事故である。
事故発生
1963年(昭和38年)11月9日21時40分ごろに日本国有鉄道(国鉄:現在はJR東日本)東海道本線鶴見駅 - 新子安駅間の滝坂不動踏切(神奈川県横浜市鶴見区:現在の名称は「滝坂踏切」)付近で貨物線(品鶴線)が、定刻より4分遅れで走行中の佐原発野洲行き下り貨物列車(2365貨物・EF15形電気機関車牽引45両編成)後部3両目のワラ1形2軸貨車(ワラ501)が突然脱線。引きずられた後、架線柱に衝突し編成から外れたことにより、隣の東海道本線上り線を支障した(2365貨物列車は非常制動が作動し停止)。そこへ同線を走行中の横須賀線電車の久里浜発東京行き上り2000S列車と、下り線を走行中の東京発逗子行き下り2113S列車(いずれも12両編成)がほぼ同時に進入した。
90 km/h前後という高速のまま進入した上り列車は、貨車と衝突。先頭車(クハ76039)は下り線方向に弾き出され、架線の異常を発見して減速していた下り列車の4両目(モハ70079)の側面に衝突して串刺しにした後、後続車両に押されて横向きになりながら5両目(クモハ50006)の車体も半分以上を削り取って停止した。
その結果、下り列車の4・5両目は車端部を残して全く原形を留めないほどに粉砕され、5両目に乗り上げた形で停止した上り列車の先頭車も大破。上下列車合わせて死者161名、重軽傷者120名を出す大惨事となった。
事故原因
事故後、ワラ1形が曲線出口の緩和曲線部(カーブから直線になる地点)でレールに乗り上げていた痕跡が認められた。そして国鉄は脱線原因を徹底的に調査・実験した結果、車両の問題・積載状況・線路状況・運転速度・加減速状況など様々な条件が複雑に絡み合った競合脱線であるとした。
それまで競合脱線事故の多くは貨物列車単独に被害が及ぶもので、人的被害を発生させた例は少なかったが、本事故はたまたま貨車の競合脱線とほぼ同時に上下方向から旅客列車が進入してきたことで甚大な人的被害をもたらす結果となった。これについては、貨物列車の機関士が脱線直後に発煙筒を焚いたが、短時間で消えてしまったこともあって上り列車の運転士(死亡)が見落とし、直前まで脱線に気付かず高速で貨車に激突、勢い余って横の列車を大きく破壊するに至ったものとされている。前年1962年(昭和37年)の三河島事故と同様に視界の悪い夜間であったことが被害の拡大を招いたとも言える。
また「競合脱線」という原因が見出され、原因不明として処理された過去の二軸貨車脱線事故も多くはこれが原因である疑いが強まったが、「競合脱線」とは脱線にいたる主因が不明確であるという点からも実質的に「原因不明」に近いものであった。後日、脱線を起こしたワラ1形はワム60000形類似車として配備前の実車試験が省略され、軽積載時の激しいピッチング特性が見逃されたことが明らかにされており、当時は高速電車開発で確立されつつあったバネ下重量、蛇行動など走行装置の理論を貨車にも適用可能な時期でもあって、これは事故調査が当事者ではない独立機関で行われていれば「試験の手抜き」と「予見可能性」とで別の結論になり得た重要な事実であった。
心霊現象
掲示板で投稿者の叔父が保線工事の作業員をしていた際に「2体くらいが凄い形相で線路からこっちに向かってきた。」って言ってきて、投稿者の母が「それダメなやつ!お払い行って来い!」って、電話し返してた。
母は、「叔父さんはもうだめかもしれない・・・。」って落胆してた。
ほどなくして大けが。現在、車いす生活を送る羽目になったとか。
保線員やってるだけで祟られるなんてちょっと理不尽なんだよなとも書かれていた。
余談
三井三池炭鉱で死者458人を出した大爆発事故も鶴見事故と同日に発生した。
どんな幽霊が出ましたか?
少年5
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老爺5
動物0
少女2
女性3
老婆0
正体不明1
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