三池炭鉱では明治から昭和初期にかけて囚人を使って石炭の採掘を行っていたことが知られる。現在の刑務所に相当する収容施設は三池集治監と呼ばれ、集治監は現在三池工業高校のある場所に明治16年(1883)に設置され、昭和6年(1931)に廃止された。
人権という概念のない明治時代、囚人たちは過酷な労働に従事させられ、疫病などに罹り、多くの死者を出したと言われる。集治監での死者は記録にあるだけで2400人を超すそうだ。そして遺体の多くは、当時雑木林だったこの勝立の丘に無造作に埋められた。
解脱塔は亡くなった囚人を慰霊するため明治21年(1888)に建てられ、平成8年(1996)に周辺を公園として整備される際に改修された。
大正時代に勝立社宅を建設するため、解脱塔周辺の土地を整地すると、そこから大量の人骨が発見されたため、解脱塔前に竪穴を掘り、そこに遺骨を投げ入れたとも伝えられる。竪穴は現在地蔵菩薩像が建っている場所あたりで、霊感がある人が地蔵菩薩像の近くに立つと吐き気がしたり、体調不良になるという。
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