高知県津野町、国道197号線脇にある塚。この塚に祀られているのは、宝暦5年(1755年)に津野山騒動と呼ばれる百姓一揆を主導した中平善之進という人物だという。
その当時土佐藩は財政難に陥っており、農民の副業である紙や茶、木材などの商品を指定した問屋(とんや)を通して買い上げ、専売制にすることにした。つまり、藩と御用商人が組んで百姓の利益を横取りしようとしたのである。これにより、専売にされた商品は問屋によって安く買い叩かれ、百姓の生活は窮乏(きゅうぼう)した。
中平善之進は梼原村(ゆすはらむら)の庄屋で、百姓たちの窮乏を見かねて、専売制により私腹を肥やしていた問屋の蔵屋利左衛門の不正を藩に直訴しようとするも、密告により捕縛される。藩は善之進に弁明の機会を与え、善之進はその場で蔵屋利左衛門が不正を行い、暴利を貪っていた証拠を示し非難した。これにより利左衛門は死罪となったが、善之進も一揆を引き起こそうとした罪を問われて宝暦7年(1757)7月26日に打ち首となった。
するとその日から高知城下を暴風雨が襲い、7日間に渡って嵐が吹き荒れ、伝説によればこの時に高知城天守閣が倒壊したと言われている。人々はこれを善之進の祟りとして恐れ、「善之進時化」と呼んだという。
また1977年、国道197号線の拡幅工事の際に塚を移動しようとしたところ、ショベルカーが原因不明の故障で修理不能の状態になったとも言われている。義人として祀られた後も、未だに善之進の怨念は強く、祟りは収まっていないのかもしれない。
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