大東市寺川、寺川新池の上にあったとされるキャンプ場の跡地。この場所は2000年代の中頃にネット上で噂になった、怪奇現象が多発してひと夏で閉鎖された(そもそも未成のまま放棄されたとも)キャンプ場の跡地だと言われる。
・怪奇現象が多発したキャンプ場とは?
それは1980年代前半のことだったという。地元の青少年センターが中心となって、飯盛山のふもとにキャンプ場を作る計画を立てたのだそうだ。
夏のキャンプ場オープンに向けて、地元の関係者、ボーイスカウトや各種野外活動のリーダー達が小型の工事車両を使って木を伐採して山を切り開き、地面を平らに整地していった。しかし、しばらくすると現場ではおかしな現象が起き始めた。
それは夜中になると、「うお~・・・うお~・・・」と地の底から湧き上がるような声が聞こえるのだ。そして日が経つにつれ大勢の鬨(とき)の声に混じり、刀と刀が交わる音(剣戟の音)まで聞こえるようになった。
またある日、作業をしていた男性スタッフが、迷子になったというおかっぱ頭の女の子に声をかけられた。どうやら帰り道が分からなくなったようで、男性スタッフがその女の子に山を下りる道を教えると、女の子はお礼を言い丸太の管理小屋の脇を走り去って行ってしまった。
一人では危ないのでその男性スタッフが女の子の後を追うも、女の子の姿は煙のように消えてしまい、管理小屋にいた女性スタッフに聞いてもそんな女の子は見ていないという。
そしてついにある日、2人の女性スタッフがキャンプ場に向かう途中の林道で鎧武者に斬りつけられるという事件が発生した。また管理小屋には、例のおかっぱ頭の女の子が、これまでにない醜悪な表情で現れた。刀で切られた女性スタッフは、洋服が少し切られただけで怪我はなかったものの、続発する怪奇現象に関係者もさすがに参ってしまい、キャンプ場の閉鎖が決定されたのだという。
・土地の曰く
飯盛山周辺の山麓(さんろく)は、南北朝時代の1348年2月4日、四條畷の戦い(しじょうなわてのたたかい)が行なわれた古戦場である。これは楠木正成の息子である楠木正行・実弟正時と、高師直(こうの もろなお)率いる室町幕府軍の間の戦いで、圧倒的多数の幕府軍を相手に南朝方は奮戦するも、楠木正行はじめ南朝方の武将はそのほとんどが討ち死に、あるいは自害して幕府軍(北朝方)の勝利に終わった戦いである。
またキャンプ場を開く2年ほど前の夏、実はこの近くで遊んでいた少女が行方不明になるという事件が発生していたらしい。もちろん地元の警察や消防が出て少女の捜索を行ったが、結局少女は発見されなかった。
そしてその少女の特徴は、おかっぱ頭で白いブラウス、赤いミニスカート、ピンクの運動靴と男性が見た女の子の特徴と一致していた。この少女の遺体は、その後キャンプ場近くの池で発見されたという。
・場所
ネットの情報によると、そのキャンプ場は飯盛山から少し下った尾根にあり、次のような立地条件だという。実際にこの廃キャンプ場の立地と比較してみると、条件が見事に一致しているため、おそらくこの場所だろうと言われている。
1.西側の眼下には大阪の街が広がり、東側は2~3メートルの崖になっている。
この条件からキャンプ場は飯盛山の南西エリアに限定される。
2.下に池がある。
確かに寺川新池がある。
3.キャンプ場の入口は西側で、北側には頂上に向かう林道があり、南側には物資運搬用の通路(国道に抜けている)がある。
現場は寺川新池の西側に道があり、これを進んで砂防ダムを越えた所にこのキャンプ場跡がある。北側には鉄塔に行くための?関電の巡視路がある。また南側には廃道となっているが、確かに国道に抜ける道がある。
どんな幽霊が出ましたか?
少年3
男性3
老爺1
動物1
少女3
女性1
老婆0
正体不明0
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