おなじみの某タクシー会社主催の心霊スポット巡礼ツアーで紹介された場所らしい。噂によると、以前この神社の井戸の中からお婆さんの遺体が見つかったそうで、それ以降老婆の霊が出ると言われている。現在この井戸は塞がれているという。
しかしこの場所は、どちらかというと女影ヶ原(おなかげがはら)古戦場として知られているので、戦死した武士や落武者の霊が出てきそうな場所ではある。
この戦いは、南北朝時代の建武2年(1335)に起きた中先代の乱(なかせんだいのらん)と呼ばれる一連の戦いの1つ。中先代の乱とは、鎌倉幕府の最後の執権・北条高時の遺児・時行(ときゆき/ときつら)が、鎌倉幕府再興のため起こした反乱である。
元弘3年(1333)、鎌倉幕府は新田義貞の軍勢によって滅ぼされ、鎌倉幕府14代執権・北条高時(たかとき)は、一族郎党と共に腹切りやぐらで自害した。その後の鎌倉は、引き続き関東支配のための重要拠点であったので、建武の新政後は後醍醐天皇の皇子の成良親王を長とし、足利尊氏の弟・足利直義(ただよし)を執権とする鎌倉将軍府が設置されていた。
しかし建武の新政が武家の支持を得られず失敗すると、各地にくすぶっていた北条氏の残党が蜂起する事態となった。北条時行は信濃で挙兵し、鎌倉に向かって進撃を開始。これに対し足利直義は、渋川義季と岩松経家らを大将にしてここ女影ヶ原に陣を構え、時行軍を迎撃する作戦だったが、時行軍を止めることが出来ずに大敗した。
足利軍は大将の一人、足利直義の義兄である渋川義李を失うなど手痛い敗北だった。このためこの地で戦死した足利方将兵の怨念は強いのではないだろうか?
ちなみにその後の両者の趨勢(すうせい)だが、時行軍はその後も小手指ヶ原(所沢市)、武蔵府中、井手の沢(東京都町田市)で足利軍を破り、一時的に鎌倉を占領し足利直義を敗走させた。しかし三河まで撤退していた足利直義は、その後京都から出撃した兄の足利尊氏の軍と合流して東海道を東に進む。時行軍はジリジリと押され、鎌倉から敗走し足利方は鎌倉を奪還した。結局、時行軍の鎌倉支配は20日余りしか続かなかった。
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