比熊山(ひぐまやま)は広島県三次市三次町(みよしまち)にある標高332mの山。この山の頂上には神籠石(こうごいし)があることで有名。この石は、その名の通り神様が宿る石として崇拝されていたが、同時に触ると祟りがあると言われ、別名「たたり石」とも呼ばれている。
この石の存在を有名にしたのは、江戸時代に書かれた『稲生物怪物語(いのうもののけろく)』という本で、話の内容は稲生平太郎と言う名の青年が肝試しに比熊山に登り、祟りがあると言われるこの石に木札を結び付けたところ、その後様々な怪異が起こったと言う内容。
また最近では比熊山山中で自殺する人も多いらしく、自殺者の霊が出るとも言われている。
(稲生物怪録のあらすじ)
寛延2年(1749)の5月のことだった。備後の国三次藩に稲生正令(幼名・平太郎)という名の当時16歳の武士の息子がいた。平太郎の隣家に権八という相撲取りがいて、ある日のこと、話の流れからこの権八と肝試しをしようということになった。そこで平太郎は比熊山に登り、祟りがあると言われる石に木札を結び付けて帰って来た。
それからしばらくは何も起きなかったが、7月1日の夜、平太郎がなかなか寝付けずにいると、障子が明るくなったり暗くなったりした。平太郎は不思議に思い、障子を開けようとしたが開かない。無理やり障子を壊して開けると、突然平太郎は両肩と帯を何者かにつかまれ、身体が宙に浮かんだ。塀の上を見るとそこには一尺二寸(約36cm)もの巨大な眼が松明のように光っていた。そして、その化け物の手が平太郎の体をつかんでいたのだ。平太郎は刀を抜いて化け物と格闘しようとするも、化け物は真っ平になり床下へ入り込んで逃げた。
そうこうしている内に、権八が血相を変えてやって来た。なんでも権八の家には一つ目の小坊主が現れて、その小坊主を見た途端体が動かなくなってしまったのだという。
それから30日間、平太郎の家には様々な妖怪が現れたりポルターガイストが起きるなどの怪奇現象が続発した。しかし平太郎は生来の豪胆さゆえか、度重なる怪異を恐れることもなく家で生活をしていた。
すると30日目になって、裃(かみしも)を着た武士が現れた。そしてその武士は「自分は三千世界の魔王で山本(サンモト)五郎左衛門である。あなたはどんなに秘術を尽くしても驚くことがなく、このままでは自分の通力が失われてしまうので、今晩限りで帰ることにした」と言い、その場に小槌(こづち)を置いて去って行った。この小槌があればいつでも自分(サンモト)を呼び出すことが出来るのだと言う。
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