もともとは自然洞窟で昔から風葬地になっていたため、現在も多数の遺骨がそのまま安置されているという。また太平洋戦争中には病院壕として使われていた。唯一の地上戦が行われた沖縄では病院壕などが数多く残されており、この病院壕にも悲惨な話が伝わっている。
ガラビ壕は1944年から病院壕として使われていたようで、当初は第24師団歩兵89連隊第2大隊の治療壕だったという。しかし戦局が悪化すると、負傷兵は急増し、第24師団本体の野戦病院である「第1野戦病院本部壕」で負傷兵が収容出来なくなった。そのため1945年4月下旬、ガラビ壕でも増加する負傷兵を収容することになった。
その後アメリカ軍の侵攻により首里にあった指令壕が陥落すると、6月3日にガラビ壕にあった野戦病院にも解散命令が下された。1人で歩ける負傷兵は原隊に復帰し、病院を閉鎖しろと言うのだ。さて、その時点で壕内には身動きの取れない重傷兵が500名もいたが彼らはどうするのか?彼らには青酸カリが配られ、これで自決しなさいということだ。
これで楽に死ねればまだいいが、中には青酸カリが致死量に足らず、もがき苦しむ者もいたという。それらもがき苦しむ患者は、衛生兵達によって日本刀や銃剣で次々と刺し殺され“処置”が完了した。この様子は、当時看護師として動員されていた白梅学徒の女学生によって目撃されている。
今でも壕内に入ると、どこからともなく苦しそうなうめき声が聞こえたり、背中が重くなり苦しくなる人もいるのだという。
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