天正9年(1581)の12月27日(旧12月2日)、この場所で相良義陽(さがら よしひ)と甲斐宗運(かい そううん)の兵が戦った。
相良義陽は薩摩の島津義久に降伏した後、島津氏から阿蘇氏攻めを命じられ、ここ響ヶ原に布陣して、堅志田城や甲佐城を攻めた。しかし阿蘇氏の重臣で御船城主の甲斐宗運は反撃の機会をうかがい、天正9年の12月2日、夜陰に乗じて相良氏の本陣に奇襲をかけた。
これ以前の戦いで敵将を打ち取りいくさを有利に進めていた相良方は、その時酒盛りをしていて完全に不意を突かれる形となった。このため大将の義陽をはじめ、相良勢数百名が討死にしたと伝えられている。
今でも旧暦の12月2日に響ヶ原を通ると、馬の蹄(ひづめ)の音、鬨(とき)の声、剣戟の響き(刀同士が交わった時に出る金属音)などが聞こえるのだと言う。
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