戦時中、大阪は計8回ほど大きな空襲を受け、多くの人々が亡くなった。その犠牲者の中で身元不詳であった千数百体の遺体を、城北公園裏の淀川の堤に集めて荼毘に付した(火葬した)。遺骨はそのまま地中に埋められ、慰霊のためその上に千人塚が建てられたのだという。
また空襲に関連して、城北公園には次のような話も伝わる。昭和20年6月7日、朝から始まった米軍による空襲で工場や民家が燃え、城北公園には多くの人々が避難していた。その避難した人々を狙い、戦闘機が低空から執拗に機銃掃射を浴びせたため、ここで千人以上が亡くなったと言われる。その中には四国から学徒動員され、近くの繊維工場で働いていた女学生も多数いたそうだ。
深夜2時頃に千人塚付近に行くと、オーブがたくさん見える、あるいは防空頭巾をかぶった霊が出るなどの噂がある。淀川周辺には、この時の空襲にまつわる心霊スポットが他にもたくさんある。
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