大正11年に当時の4年生が野外写生の授業で3人の生徒が川で溺れ2人が無事に助かったが、1人の生徒と小野訓導が溺れて亡くなった。その為殉職地碑が建てられた。昼間は普通だが、夜間は白石川から子供の悲鳴が聞こえたり、女性の霊が出るという。