概要:神奈川県大磯町にある標高111メートルの山。1932年に「坂田山心中事件」が発生したことから、一時期自殺(特に心中)の名所となる。坂田山心中事件とは、慶應義塾大学の男子学生と、静岡県の資産家の娘が親族に結婚を反対されたために坂田山で服毒自殺した事件。この事件はマスコミによってセンセーショナルに報道され、以後坂田山で後追い自殺を企てるカップルが続発した。現在は事件のことを覚えている人も少なくなり、心霊スポットとしての認知度は低いが、ハイキング客が霊を目撃したという情報もある。
昭和7年(1932)5月9日午前10時、地元の青年が坂田山で男女の心中遺体を発見。警察の捜査の結果、男性は慶應義塾大学理財科の調所五郎(24)という華族を先祖に持つ青年、女性は静岡県の富岡村(おおむね現在の裾野市中部、富岡地区に相当)の資産家の娘、湯山八重子(22)と判明。2人の遺体のそばには昇汞水(しょうこうすい)(※1)という劇薬のビンがあり、これを飲んで心中を図ったものと思われた。心中の動機だが、2人は結婚を誓い合っていたが、八重子の両親が結婚には反対であったため、2人はこの世で結ばれないのなら、天国で結ばれたいという思いから心中したものらしい。
2人の遺体は近くの寺に仮埋葬されたが、その後八重子の遺体が何者かによって盗まれるという猟奇的事件も発生。詳細は省くが、その後遺体は発見され、これは遺体を埋葬した作業員の犯行ということで解決したが、警察の厳しい取り調べで無理やり自白させたもので、えん罪ではないかという説もある。
盗まれた後、船小屋近くのに砂地に埋められていた八重子の遺体は損傷しておらず、大磯署は「令嬢は清く汚れのない処女であった」と異例の発表をした。また八重子はもともとクリスチャンで五郎とは教会で出会ったと言われている。そのため、東京日日新聞(現・毎日新聞)は「純潔の香高く 天国に結ぶ恋」という見出しでこの事件を報道し、このキャッチフレーズは坂田山心中の代名詞のようになった。
さらに事件から約1か月後の6月10日、坂田山心中事件を元に制作された映画『天国に結ぶ恋』(監督:五所平之助)が松竹によって公開された。この映画は大ヒットとなり東京・浅草の帝国館では3週続映になったという。新聞報道と映画の影響で坂田山では1932年6月から12月までの7ヶ月間に20組もの心中事件が発生。山の所有者が入山禁止にした時期もあったという。その後もしばらく後追い自殺が続き、昭和10年(1935)までの自殺者(未遂も含む)は約200人にのぼったとも言われる(※2)。
※1 塩化水銀(II)と呼ばれる水銀の塩化物に食塩を加えて水に溶かした液体。当時、0.1パーセントの昇汞水は消毒薬として使用されていた。また昇汞水は写真の現像液としても使用されており、2人が飲んだ昇汞水は五郎が趣味の写真用に入手したものらしい。
※2 池田房雄(1988)『後追い二百件「天国に結ぶ恋」の呪縛』、『文芸春秋‐昭和の瞬間』、第66巻第10号、1988年8月20日、pp.100-105.
(余談)
事件以前、この山は坂田山ではなく、「八郎山」という呼び名が地元では一般的だったらしい。しかし東京日日新聞の記者が「詩情に欠ける山名」という理由で、大磯駅近くの小字の地名を使い「坂田山」と命名。せっかく良家出身男女(しかも美男美女)の悲恋物語なのに、その終着点が「八郎山」というパッとしない名前では、報道するにもカッコがつかないということだろうか?これが原因で以降、坂田山という呼び名が定着する。大磯町が設置した現地案内板には、以前は坂田山と書かれていたが、現在は「羽白山(はじろやま)」に変えられている。元々は八郎山のほかに、羽白山、端城山などの呼び名もあったそうだ。
どんな幽霊が出ましたか?
少年3
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