1953年に開場された鳴門市のボートレース場。かなり昔の話になるが、このレース場では存在しないはずの「幽霊ボート」が写真に写るという事件があり新聞にも載った。
事件が起きたのは昭和29年(1954)1月15日、鳴門競艇場で行われたレースの判定写真に、その場にはいなかったはずの黒いボートが写ったのだ。
競艇ファンの間では、この黒いボートはその前年の1953年12月24日、佐賀県の唐津競艇場で事故死した横溝幸雄選手の霊だと噂された。専門家の間でも議論がかわされ、カメラの問題ではないか、あるいは蜃気楼のような現象ではないか言われた。しかしそれに対して、いやいや、もしそうなら他の競艇場含めて似たような現象がもっと起きないとおかしいという反論も出て、結局結論は出ずに謎のまま終わったようだ。
ところで、なぜ前年に事故死した横溝選手の霊だという話になったかと言うと、これにはそれなりの理由がある。
前年の1953年12月、鳴門競艇場で行われた最初のレースに横溝選手は出場した。横溝選手は当時一番人気で優勝が期待されていた。ところがレースのスタート早々に舟のフィンが脱落してしまい、結果は5着。ファンはこれを見て「八百長だ!」と騒ぎ、暴動まで起こす始末となった。横溝選手自身も身に覚えのない八百長の汚名を着せられることは不本意で、「次回の鳴門で必ず汚名を晴らす!」と仲間や関係者に漏らしていたそうだ。
しかし横溝選手は12月24日に事故死してしまい、八百長の汚名を晴らすことが出来なくなってしまった。死んでも死にきれないとはこのことで、横溝選手の次回の鳴門に必ず出場するという執念が、1月15日のレースで幽霊艇となって現れたという訳だ。
ところでこの話には後日談がある。事件から9年後の昭和38年(1963)7月24日、同じく鳴門競艇場でのレース中、亡くなった横溝選手と同郷の小笠原政敏選手が、「心霊写真」を撮影した写真判定柱に激突して亡くなってしまったのだ。
この因縁めいた事件のせいで、今度は横溝選手が小笠原選手をあの世へと連れて行ったのではないかという噂がファンの間に広まったそうだ。
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