八戸市白銀の奥にある高台で、この辺りは通称「コレラ平」と呼ばれていたらしい。
コレラは明治10年(1877)、12年(1879)、19年(1886)と断続的に流行し、中でも明治19年の流行では青森県だけで4000人弱もの人が亡くなったと言われている。
その時代、コレラで亡くなった人の遺体、まだ息のある患者さえもリヤカ-に積んで、この高台に捨てていたという話だ。後にこの場所には「コレラ病没者供養塔」が建立されるが、現在この慰霊碑は白銀駅近くにある福昌寺(八戸市白銀4丁目9−4)に移設されたらしい。
昔はコレラ平付近を通るとコレラに罹ると恐れられ、また今でも夜間にコレラで亡くなった人たちの霊が徘徊するという噂がある。
どんな幽霊が出ましたか?
少年5
男性7
老爺3
動物1
少女2
女性5
老婆2
正体不明2
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