忠生公園(ただおこうえん)は、1977年に開園した東京都町田市にある都市公園。
周りを囲む丘陵地の中で一段低くなった谷間に位置し、このような場所は谷戸(やと)と呼ばれるらしい。公園としてきれいに整備される前は、もっと不気味な雰囲気があったという。
その当時を知る人の話によると、公園が出来る前は湿地帯の一画に田んぼと廃屋があるだけだったそうだ。そしてこの廃屋の最後の住人が自殺をしたとか、廃屋近くのカキの木に女の幽霊が出るなどの噂があった。
この廃屋があった場所には、現在ご丁寧に「屋号がにやら家跡」という木の標識が立っている。もちろん本当に「がにやら家」という屋号で呼ばれていた訳ではなく、当時は名も無いただの廃屋だった。おそらく公園として整備する時に町田市が勝手に付けた名前だろう。
ちなみに「がにやら」とは、カニの住む谷戸(低地)という意味の地元の呼び名で、公園内にある「忠生がにやら自然館」の名前の元にもなっている。昔はこの辺りにたくさん沢蟹がいたらしい。
また別の人の話によると、公園の東側、ちょうど忠生公園大橋の下あたりに以前は首なし地蔵があって、この地蔵の近くで老婆の霊を見たのだと言う。
現在橋の下に地蔵らしきものは見当たらないが、橋の歩行者用階段を下りて北東に進むと、三叉路交差点があり、交差点の片隅に「身代地蔵尊」という名の地蔵が祀られている。この地蔵は1783年に起きた天明の大飢饉に由来する。
飢饉のため村の全員が食べていけるだけの食糧がない中、村の長老たちは僅かに残った食料を若者たちに譲り、自らは餓死したと伝えられる。この地蔵は、その長老たちを慰霊するために建てられたそうだ。このような歴史的背景があることから、橋の下で目撃された老婆の霊は天明の大飢饉で餓死した人なのかもしれない。
祠のなかにある地蔵は見た感じ新しそうだが、やはりこの身代地蔵は2代目らしい。もともとあった江戸時代の地蔵は、以前心無い何者かによって持ち去られたので、昭和58年(1983)に現在の地蔵が再建されたという。
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